島唄、三線弾けなかった一節 宮沢和史さん
母方の祖父は硫黄島で戦死しました。毎年8月15日が近づくと、私の母は、戦争の特集番組を流すテレビに向かって、「なんでだ」「まったくだ」とつぶやいていました。
母の怒りの矛先は敵国ではなく、どうやら「日本」。子どもながらにも、そのことが気にかかっていました。
その意味に気づいたのは20代に入ってから。音楽への興味から通い始めた沖縄で、ひめゆり平和祈念資料館を訪れたときでした。
10代の女子学生たちが軍国教育や日本軍によって死に追い込まれていったことを知りました。そうした死も、祖父の死も、政府と軍が選んだ誤った道の果てにあったのだと思い至りました。
何よりも、県民の4人に1人が亡くなった沖縄戦という日本の歴史を、20年以上も生きてきて知らなかったことが恥ずかしくなりました。
どうしたらいいのかと考え、僕には歌しかないと作ったのが「島唄」です。
ウージの森(サトウキビ畑)を走り回っていた幼なじみの男女が、地下のガマで互いに殺し合ったという話も、歌詞にしました。
〈 ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら 〉
この一節です。レとラを使わない琉球音階をベースにした曲ですが、この歌詞の部分だけは西洋音階です。琉球音階を使えなかった、三線(さんしん)は弾けなかったという方が正確です。「日本」が彼や彼女を死に追いやったと知ったからです。
今は辺野古の問題をめぐって日本政府と沖縄の民意が対立していますが、沖縄の人たちの怒りの中心にあるのは、尊厳の問題なんだと、私は感じています。
同じ目線に立って話をするという当たり前のことを本土の側はしてこなかった。日本政府の態度やものの言い方には、尊厳に対する敬いや配慮が足りない。
僕の発言で何かが変わるとは思っていないし、こうすべきだと言うつもりもありません。
ただ、遠回りでも地味でもいいから、僕と関わった人が沖縄について、平和について何か気づいたり、考えたりするような活動を続けたい。
その一つとして、三線のさおの材料になるリュウキュウコクタンを沖縄で育てる活動を始めています。育つまでに100~200年くらいかかる。
僕も含めて誰も生きていませんが、育てた木で三線が作られるなら、その間は戦争が起きなかったことになります。
聞き手 藤原慎一
話し手 宮沢和史(みやざわ かずふみ) 音楽家。53歳。山梨県出身。「島唄」で知られる「THE BOOM」(解散)のボーカル。沖縄民謡の保存にも取り組む。
朝日新聞 2019/09/30
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