以下の文章は、2020/1/30に交通事故をしてから、救急搬送してもらった岐阜高山の急性期病院での2ヶ月の入院と治療を終え、東京のリハビリ病院に転院してきた頃、Facebook上で投稿した文章です。

後日、いつか見返せるようにとブログ上にも転載しました。(アイキャッチ画像は、この頃に赤羽リハビリテーション病院の庭で撮った写真です)

黒文字の部分が当時書いた文章で、後日追記した箇所については黄色の枠組み内に書き足しています。

1月に岐阜県白川村(当時の自宅の近く)で単独の交通事故をして、頭を強打したことで「外傷性くも膜下出血」をおこし、新しいことが覚えられない脳の障害(高次脳機能障害)を発症しました。こちらで闘病記を残します。

(後日追記)

高次脳機能障害の症状には、記憶障害以外にも、遂行機能障害、注意障害、社会的行動障害など他にも色々あり、それらの困難から生まれる二次障害もたくさんありますが、当時の私にとって1番大きなショックだったことは「なんでもすぐに忘れちゃう」「相手のことを覚えていられない」ということだったため、記憶障害のことしか書けていませんね。

(自分の障害のことをきちんと認識できないのも、高次脳機能障害の特徴だそうです。)

記憶障害については、受傷前の記憶はほとんどダメージを受けていませんでしたが、事故直前(1ヶ月以内くらい)に初めて出会った人や、経験したはずの出来事、短期間の付き合いだった人のことなどは、全然分からなかったりしました。

身体機能についても書かれていないので、追記します。

転院前、高山の急性機病院にいた2ヶ月間は、肺挫傷の影響で人口呼吸器を付けていたので、この記事の文章を投稿した頃はまだ自発呼吸はうまくできておらず、喉に気管カニューレという呼吸の補助器具をつけて、少し大袈裟にヒューヒューする音を立てて息をしていました。この頃は、声帯麻痺の影響なのか発声も弱かったので、言葉での会話が成り立つようになってからも、細い頼りない声でコミュニケーションをとっていました。

体全体の色々な場所に失行の症状があり、足全体に常に強い痺れと軽度の麻痺があったので、自立歩行はできず車椅子生活で、脳疲労による強い眠気があったので、1日の多くの時間をうつらうつらして過ごしていました。

今は東京赤羽で、リハビリ病院に入院して自分でできることを増やしています。もともと運転センスはなかったので車から離れるいいチャンスだったと捉えてます。入院(たぶん初体験)したから出会えた素敵なご縁も沢山沢山沢山ありました。

相変わらず人には(患者さんの仲間にもリハビリの先生たちにも看護師さんにも)めちゃくちゃ恵まれています。

誰も事故で傷付けなかったのと、性格まで変わらなかったことと、幸せな記憶が沢山残っていることに救われています。体はとても健康ですが、心が状況整理にまだ追い付いていません。

この頃は、はっきり自覚できていた「何も覚えていられない」「すぐに忘れちゃう」「歩けない」などの症状以外にも、外観的にも事故前との変化が顕著で、かなり斜視でした。

まっすぐ前を向いているつもりなのに、両目の黒目はそれぞれ全然違う方向を向いていて、その変化をまだ自分で受け止められずにいました。

目もあまり見えていなかったので、使い慣れたパソコンやスマホが常に近くにあったおかげで、当時のリアルタイムの感情を書き残すことができていました🙏

私の意識が覚醒し出したときに、すぐにデジタル環境を整えてくれた母に感謝です🙇‍

(私が事故当時持ってたスマホなどは、交通事故時の衝撃で、バッキバキの状態だったそうです )

出来なくなったことばかり気になるので、前向きに両親や今までお世話になった人たちより早く死なないように頑張って強く生きます。

記憶障害は時間の流れに委ねるとして、(時間が大きな味方になってくれるそうです。とても勇気づけられます。若くても悪いことだけじゃないですね。)まずは支えなく自分で歩けるようになりたいです。

「時間の経過が大きな助けになってくれる」という言葉は、当時母が高次脳機能障害に関する本を片っ端から読んでくれていた中で見つけた山田規畝子さん(高次脳機能障害をもつ当事者で、元整形外科医さん)の本で書かれていて、私も入院中に教えてもらったその言葉を宝物のように、いつも病室やスマホのメモのよく見る場所に書いて、何度も確認していました。

「この訳わからん世界には、いつか必ず終わりが来るから大丈夫。」と、その言葉にすがるようにして、日々を過ごしていました。

周りの入院患者さん(当たり前ですがリハビリ病院も高齢の方が多く、若年層でも40代の方が1人、50代くらいの方が1人いるだけでした)と比べて、私はもっともっと長い時間、残りの人生が残っているんだな、、、こうなっても、家族に迷惑をかけ続けながら、まだまだ生き続けなきゃいけんだ、、、

と、24歳でこんな状態になってしまったことを、当時はとても悲観的に受け止めていました。

私の場合は、受傷後1年半が経過するくらいまでは、感情のコントロールなどもうまくできなくなっていたので、目に見えづらい苦しさの中で、毎日を生きていました。

(安定した精神状態を維持できない症状なども、脳損傷の後遺症として残りやすいそうです。)

あと、これも脳に障害を抱える人の多くが体験する症状だそうですが、「環境に合わせて臨機応変な判断や行動をすること」(本来の自分であれば自然な流れで理解・対応できていたようなこと)なども、うまく出来なくなっていました。

入院生活が長かったので入院ぼけしていたというのもあると思いますが、退院後も、その場の状況次第で 柔軟に常識的な判断をすることなどは出来ず、周りの人が想像もしていなかっただろう見当違いな行動をしてしまって、回りの人を驚かせたり困らせたりしてしまうのを繰り返しました。

社会復帰したての頃は、自分自身でも予想していなかったようなショッキングな出来事が日常的に発生して(私は簡単な未来予想も全然できなくなっていたので、自分の中では思いもよらなかったようなびっくり事象が日々起こった)、毎日疲弊してしまい、その度にとても悲しかったことを覚えています。

空間認識力の低下や、視覚・聴覚情報に対する認識の歪みなどもあり、よく段差や傾斜に気付かず人前でも思い切り転んだり、勢いよく建物や障害物にぶつかったり、人とのコミュニケーションの中で間違った解釈をして 結果的に誰かに迷惑や苦労をかけてしまったり、というのが日常的にありました。

相手が話している言葉への理解に関する障害も、少しあったように思います。

生かされた意味はお世話になった人たちを悲しませないためだと思います。自分が泣く方が良いのできっと自分で選んで生きてるんだと思います。

今も白川でお世話になった沢山の方々や、教えていたかやっこ劇団の子どもたちの頑張っている姿、石垣の友達たち先輩後輩たちからの連絡、島の恩師や家族の存在に強く支えられています。

新しいことが覚えられないので仕事復帰は難しいと思いますが、社会復帰をめざして あまり先のことを心配せず今は目の前のリハビリを頑張ります。最初はまだリハビリ病院みたいに理解あるところじゃないとパニックになると思います。

これまでお世話になったみんなの幸せをささやかながら祈ってます。

きっと乗り越えられない試練はふってこないはずですよね。魂の修行、引き続き頑張ります💪

お見舞いの品やお金を贈ってくださった皆さんに、心から感謝します。

石垣の中学時代の恩師から人生楽しんだもん勝ち!と言われました。そう思えるように前向きに強く生きます。

また今回の事故をきっかけに、同じような辛い経験をした話を友人や先輩たちから聞くことが増え、本当の意味で痛みを知って人に寄り添うことができてきたのかなと思っています。

この闘病記が誰かの糧になることを祈って。

事故を経験してから、こういう、怪我や病気を経験した人(もしくは自分の大切な存在がそういう経験をしたことのある人など)が、寄り添ってくれることが沢山ありました。元気な頃の私だったら、言ってくれなかったことなのかもしれないな、とも感じました。きっと全部に、なにか意味があるんだね。

4月に書いた近況報告を読んで今改めて思うこと。

2020-07-22

( 以下 当時の投稿を追記。コメント欄を見返して胸に迫るものがありました。 )

(以下、2022/2/2に追記)

いま、受傷から2年が経ち、退院して社会生活に復帰してからは1年が経ちました。やっと、だいぶ冷静に、当時の状況や今日までの歩みを思い返すことができるようになったなと感じています。

同じく高次脳機能障害や他の脳血管障害をお持ちの当事者さんや、ご家族さま、そして高次脳機能障害をもつ方のリハビリを担当されているリハスタッフさんや、医療関係者の方々、脳科学など脳の専門家のみなさまへ、

もしこの記事が届くことがあったなら、脳損傷を受けた当事者が感じた、脳の回復についての感想を書き残すので、よかったら読んでください。

・脳外傷から高次脳機能障害を持った私の実感や、今まで私が出会ってきた当事者さんたち(病気/外傷など発症原因を問わず)から聞いたことで共通していたのが、

高次脳機能障害や脳血管障害などの脳の急な不具合は、時間の経過とともに、ゆっくりでも確かに、緩和されていくものだということです。

それは脳の自然な回復力と、「壊れた脳も学習する」ことの表れだと思います。

再生するための能力も失われたと思えるような大きなダメージを受けても、時間の経過とともに実際にゆっくりでもちゃんと回復してくるから、脳ってすごいなと実感しています。

人間の脳、面白いですね。

大学生の頃、授業で脳科学とかの講義がありましたが、当時の私は全く興味が湧かず眠いだけだったのを覚えています。今ならとても学んでみたいと思うので、これからまたゆっくり、本など読んでいこうと思っています。

高次脳機能障害の症状や回復の記録は、#高次脳機能障害 のタグなど活用すると、見ることができます。発症当初の記事とか、文章もめちゃくちゃで、読みづらいものも多いと思いますが、興味を持ってくれた方がいれば、よかったら。

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ABOUTこの記事をかいた人

1995年、沖縄県石垣島に生まれる。大学進学を機に上京後、地域づくりとはどういうものなのか学ぶべく、19歳で休学して岐阜県白川村に移住。2020年に交通事故と入院生活を経て、帰島。 場づくりやコミュニティ形成について、実践を通してじっくり学んでいくのが楽しいです。実体験を伴わない、頭でっかちな言動をとらないように、という自戒も込めて。 踊ること、撮ること、書くことが好き。(それぞれ、少しずつでも楽しく再開していくのが今の目標。)ヒトを含む動物が好き。食べるのが極端に遅いですが、食べることは大好き。珈琲のおともで最近のヒットは、ISHIGAKI LABOのクイニーアマン。