1月に岐阜県白川村(当時の自宅の近く)で単独の交通事故をして、「外傷性くも膜下出血」をおこし、新しいことが覚えられない脳障害(高次脳機能障害)を発症しました。こちらで闘病記を残します。

(追記)急性機病院にいた2ヶ月間、人口呼吸器を付けていたのは、「肺挫傷」という、の組織の損傷を受けたことで 自発呼吸がうまくできていなかったため、一時的に 機械に呼吸の補助をしてもらっていたからだそうです。

今は東京赤羽で、リハビリ病院に入院して自分でできることを増やしています。もともと運転センスはなかったので車から離れるいいチャンスだったと捉えてます。入院(たぶん初体験)したから出会えた素敵なご縁も沢山沢山沢山ありました。

相変わらず人には(患者さんの仲間にもリハビリの先生たちにも看護師さんにもお医者さんにも)めちゃくちゃ恵まれています。

誰も事故で傷付けなかったのと、性格まで変わらなかったことと、幸せな記憶が沢山残っていることに救われています。体はとても健康ですが心が状況整理にまだ追い付いていません。

出来なくなったことばかり気になるので前向きに両親や今までお世話になった人たちより早く死なないように頑張って強く生きます。

記憶障害は時間の流れに委ねるとして、(時間が大きな味方になってくれるそうです。とても勇気づけられます。若くても悪いことだけじゃないですね。)まずは支えなく自分で歩けるようになりたいです。

生かされた意味はお世話になった人たちを悲しませないためだと思います。自分が泣く方が良いのできっと自分で選んで生きてるんだと思います。

今も白川でお世話になった沢山の方々や、教えていたかやっこ劇団の子どもたちの頑張っている姿、石垣の友達たち先輩後輩たちからの連絡、島の恩師や家族の存在に強く支えられています。

新しいことが覚えられないので仕事復帰は難しいと思いますが社会復帰めざして あまり先のことを心配せず今はひとまず目の前のリハビリ頑張ります。最初はまだリハビリ病院みたいに理解あるところじゃないとパニックになると思います。

これまでお世話になったみんなの幸せをささやかながら祈ってます。

きっと乗り越えられない試練はふってこないはずですよね。魂の修行、引き続き頑張ります💪

お見舞いの品やお金を贈ってくださった皆さんに心から感謝します。

石垣の中学時代の恩師から人生楽しんだもん勝ち!と言われました。そう思えるように前向きに強く生きます。

また今回の事故をきっかけに、同じような辛い経験をした話を友人や先輩たちから聞くことが増え、本当の意味で痛みを知って人に寄り添うことができてきたのかなと思っています。

この闘病記が誰かの糧になることを祈って。


( 以下 追記 )

本記事は、後日 ▽のFB投稿をブログにも転載したものです。(またいつの日か見返せるように)

【近況報告】

1月に岐阜県白川村(当時の自宅の近く)で単独の交通事故をおこし、新しいことが覚えられない脳障害(高次脳機能障害)を持ちました。ブログは更新きれててもう使えないのでこちらで闘病記を残します。

今は東京赤羽で、リハビリ病院に入…

前盛 よもぎさんの投稿 2020年4月24日金曜日

4月に書いた近況報告を読んで今改めて思うこと。

2020.7.22.

事故を経験してから、こういう、怪我や病気を経験した人(もしくは自分の大切な存在がそういう経験をしたことのある人など)が、寄り添ってくれることが沢山ありました。元気な頃の私だったら、言ってくれなかったことなのかもしれないな、とも感じました。きっと全部に、なにか意味があるんだね。

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ABOUTこの記事をかいた人

沖縄県石垣島出身。早稲田大学進学のため上京。地域づくり・教育について現場で学ぼうと、19歳のとき大学を休学して岐阜県白川村に移住。24歳のときに交通事故を経験して、岐阜・東京での入院・リハビリを経て、25歳で地元 石垣島に帰島。26歳現在は島で身体機能・脳機能のリハビリを続けながら、復職を含めた社会復帰真っ最中。 対話・場づくり・福祉・コミュニティ形成などに興味があり、たぶん縁もあります。抹茶と、冷や味噌汁が好き。踊ること、撮ること、書くことも好き。個人の記憶とか感情とか、分かりやすく目に見えないものを、何かしらの表現で未来に残すことのできる行為が、好きなんだと思います。