報告が遅くなってしまいましたが、先日10月21日からの1週間、白川村のお家のお片付け・大掃除や、お世話になっていた たくさんの方々へのご挨拶まわりなどをしに、もう長いことご無沙汰してしまっていた白川村に、やっと行くことができました。
今、ちゃんと心を落ち着けて沢山の区切りと別れと向き合えるような状態まで 私自身が回復してこれたタイミングで、この時間を持てたことに、感謝しています。
去年の1月、突然白川村を離れてしまったあの日から、1年9ヶ月の時間を空けて 村で過ごすことができた時間は、1日1日に、胸いっぱいになる出来事が詰まっていて、色々な思いが溢れてきた日々でした。
私の中では あの日から時間が止まってしまっていた色々なものの整理と、今まで沢山お世話になった多くの人と場との、区切りの時間を過ごさせてもらった、大切な時間でした。
滞在中のことは、とても文字では振り返り切れませんが、今回お会いできなかった方々へのご報告と改めてのご挨拶を兼ねて、そして自分の記憶が頼れなくなっている私の未来のためにも、なんとか少しでも書こうと思います。
石垣島から白川村に着いた初日は、冷たい空気が懐かしく、やっと帰ってこれた村の景色と、冬のはじまりを感じる山や水の匂いに、胸がきゅっと、ほっとしました。
滞在中は、ご無沙汰してしまっていた方々や子どもたちと再会できて、久しぶりにわいわい過ごせたことが、なによりも、嬉しかったです。
行く前から会うことを予定していた人たち以外にも、村内行く先々でたまたまばったり会えた方々もいて、本当に嬉しかったです。そういう方々みんなが、おばけを見ちゃった感じのリアクションで、こちらもびっくりしてしまうことが続きました。
長らくお会いできていなかったのに、覚えていてくれて、色々な経緯を認知していてくださり、 気にかけていてくださり、本当にありがとうございました。
「おかえり」と迎えてくださる方々の存在や、胸に沁み込むお言葉、色々な気持ちが伝わってきた握手やハグ、子どもたちの成長、懐かしい皆様の姿に、心がぐっらぐら揺さぶられまくった日々でした。
家の中でも、村のどこを歩いても、目に映るもの全てに、色々な記憶が詰まっていて、関わっていた活動や日々の積み重ねの跡を見つける度、いちいち立ち止まってしまい、頭のどこかに仕舞われていたのだろう懐かしい記憶や色々な感情が心に帰ってきた、本当にあっという間の、濃い濃い1週間でした。
滞在中は、慌ただしく色々なできごとが詰まっていたのに、時間は本当にあっという間で、白川を発った後もしばらくは東京での用事が続いた関係で、11月に入ってからやっと、長い旅を終えて石垣島に帰ってきました。
東京での滞在中は、思わぬハプニングなどはありましたが、忙しく動き続けていた自分の気持ちを鎮めて、心をゆっくりと真ん中に戻すような時間を、過ごすことができました。
ずっとふわふわ宙に浮いたような状態が続いてしまっていた自分の心を、一度ちゃんと落ち着けて、それまでの怒涛の日々をしっかり体に落として、今いる場所を再確認して、これから向かいたい場所や 向かうべき方向などを、見つめることのできた時間でした。
まだ1人では長距離の移動や引っ越し作業が困難な状態の私に付き添ってくれて、今回の長い遠征の引率をしてくれた母も一緒に、思わぬ負傷をして(心とかじゃなく体の傷の方🤕)帰ってきた東京滞在でしたが、
島の実家には、連日 白川から送った沢山の荷物が届いて、最近まで長らく、その片付けや整理作業に追われていました。
消耗しきっちゃってるとき、平和な生き物たちに助けられて生きてます、という記録。
2日前、Meli ARAKIさんのstand by me聴きながら。
こういう 心解放できる時間や 気持ちのいい音楽 が身近にある環境で暮らせている今に、感謝。#うたの日コンサート 2021#石垣島まつりhttps://t.co/zWSjBhoaUn pic.twitter.com/JeqCyLWDLa
— 前盛よもぎ (@yomo_mebure) November 9, 2021
白川で荷物の運び出し・廃棄・配送作業をしたときは、時間もなくてとりあえずゴミ袋に入れるかダンボールに詰めるかの分別を勢いよく終わらせた感じだったので、
島に帰ってきてからやっと、懐かしい記録たちを1つ1つゆっくり振り返りながら、きちんと自分の気持ちの整理もできました。
ここ2日間ほどは、体も心もぐったりしてしまっていましたが、現在は無事に全ての作業がだいぶ整理されてきて、心身の疲労具合も少しずつ落ち着いてきて、今やっとこの報告の文章を書くことができています。
目次
滞在中の実際の作業についてのご報告
やまよの家のお片付け・お掃除作業については、当初イメージしていた 滞在期間ぎりぎりまで作業が難航してしまって慌ただしく村を離れるような状態にはならず、びっくりしてしまう程早いテンポで、進めることができました。
今回の滞在は、家の作業を終えることを最優先に考えて予定を組んでいたとはいえ、出発前までは「たぶん滞在中はずっと家の片付けと大掃除に追われて、お世話になった人たちとさえゆっくり話す時間をもてないまま、今回の滞在期間はバタバタと終わってしまうんだろうな…」と思っていました。
が、皆様のおかげで、家の整理だけではなく、今回の滞在中に最低限感謝を伝えに伺いたかった人のもとへは、なんとか行くことができて、短時間でも直接顔を合わせてお話することができました。
お力添えくださった方々の力がなければ、今回の滞在期間だけで あの量の作業を1週間で終えることも、会いたい人に会いにいくことも、到底無理でした。本当に、お力を貸してくださった方々のおかげでした。
お忙しい中、わざわざ駆けつけてくださり、迅速に心ある頼もしいサポートをくださり、本当に本当に、ありがとうございました。
白川の方々の仕事の速さとか連携力とか、現場の状況次第でみんなが自分のすべきことを判断してどんどん作業が進んでいく物凄さとかを、久しぶりに目の当たりにした1週間でした。
白川にはまたすぐに、今後もしょっちゅうお邪魔させて頂きたいと思っています。
今回は私の体力の低下や同行してくれた母の仕事の都合などもあり、お世話になった方々に十分にご挨拶に伺うことは難しかったので、またすぐに、きっともう一段回復した姿で、今度はしっかり1人で行動できるようになって、ぴょこっと行きますね🙇
それまでは、石垣島で目の前の生活を積み重ねながら、ゆっくりでも1つ1つできることを増やしていけるよう、頑張ります。
そちらは、もうすぐ真っ白な日々が始まりますね。お互いに、無理を重ね過ぎず、肩の力を抜く時間も大切に、頑張りましょうね。
文字のやりとりもいつもすごく嬉しくて元気を頂いているけど、たまには電話で声を聞かせてもらえたりしたら、とても嬉しいです😢 SNSなどで繋がってくれている方々にも、子どもたちにも、いつでも海の音とか届けるから、どうぞ気楽にご連絡ください🙇
そして、
今回お会いできなかった方々に向けても、節目として改めてご挨拶を書かせてください。(写真アルバムこちらです)
私が白川村で暮らし始めたのは19歳の春でしたが、そこから約5年間、白川で経験させてもらった出来事や出会いの1つ1つが、私にとっては本当に幸せな、人生を深めるための大切な学びと大きな出会いを経験させてもらった、今の自分が形成される上での基礎力みたいなものを育ててもらった時間でした。
白川で過ごした時間なしに、これからの人生は構築されていかないなと、よくよく 感じています。
移り住んだ当時の私は大学1年生で、社会経験も全然積んでいない、色々と未熟な人間でしたが、白川村の皆さまは色々なことを温かく、寛容に、鋭く、いつもまっすぐ、面倒臭がらず、いちいち向き合って、教えてくださりました。心から、ありがとうございました。
今回の滞在を通して改めて、今後も何度も行かなきゃいけないなと強く再確認したし、しっかりと縁を結んでもらったんだなと感じたので、またすぐに伺います。
ちょうど今回の滞在中、私が住ませてもらっていたやまよの家がある小白川地区の祭礼がありました。他地区と同じく、今年も神事のみの開催となりましたが、小白川の皆様と久しぶりにわいわい話せて、村外にいる大家さんご家族とも直接顔を合わせてご挨拶させて頂くことができて、「楽しい家にしていってくれてありがとう」と言って頂けたことが、とても心に残っています。
沢山お世話になった大家さん(村外の大家さんも、近い環境でいつも面倒を見てくれていた大家さんも)のご家族さま、そして小白川の皆さまへ。
当時、突然住みたいですとやってきた異質な単身女性を温かく受け入れてくださって、色々なことを自由にさせてくださり、色々なことを許容してくださり、色々な場に温かく混ぜてくださり、いつも何かと気にかけてくれて、教えてくれて、お声掛けくださって、本当に本当に、ありがとうございました。
小白川という、静かで風通しのいい、いつも山と川の濃い匂いが漂っている、色んな繋がりを大切に守り継いでいる地域で過ごさせてもらった日々は、
私にとって、大切な記憶が詰まった、多分何歳になっても懐かしく思い出してしまうだろう、20代前半の迷いや葛藤や色々な未熟なものを包み込んでもらった、大きな時間でした。
離れることになってしまったのはとても寂しいですが、今後も何度も通わせて頂こうと思っているので、またお会いできたときには、今度はゆっくりお話ができたら嬉しいです🙏
それではこれで、取り急ぎ(と言える時期は過ぎてしまってるかもしれませんが🙇♂️)のご報告までに。
本当に、ありがとうございました!!
前盛滞在中に撮った写真を、皆さまに個別にお送りできるのはいつになることか…という感じなので、先にここでシェアさせて頂きますね。

自分が写ってる写真はここには載せないで〜、という方などいれば、すぐ編集加えるので、教えてください🙇( 他にも、滞在中に一緒に写真撮ってくれた方や 作業風景の写真を撮ってくれた方などいたら、よかったら送ってください。)
あと、ここに写ってるけど、きっとこの記事は届かないだろうなという人に、お家の近くを通る際など、よかったら立ち寄って見せてもらえたら(&少し一緒に楽しい時間を過ごしてもらえたら)ありがたいです。
白川村の消防隊員の方々へ。救助のサポートをしてくださった方々へ。
去年の事故当日、もう夜の始まりかけだった 薄暗い時間に はじめに現場を発見してくれて、怖い環境の中で車内を覗き込んでくださり、暗く冷たい電波の通じない環境で色々な対応をしてくださり、救急車を呼ぶところから みぞれと雨が降る中での搬送サポートまで、ずっと付き添ってサポートしてくださった第一発見者の方、
色々な状況が悪かった中で 迅速に適切な判断と搬送対応をしてくださった白川村の消防隊の方々へも、やっと直接感謝を伝えることができて、なんだかやっと、胸のつかえが降りた感じがしました。
消防署には、もう当時の対応をしてくださった方々はいなかったので、またいつか直接お世話になった方々にお会いすることができた際には、改めてご挨拶させてください。
そして、もう直接 感謝の気持ちを伝えることは叶わないと思いますが、第一発見者の村の方と一緒に救助のサポートをしてくれたという、たまたま現場を通りかかったトラック運転手さん(村外の方)へも、どうか幸せな日々を過ごされていることを、祈っています。
天候の悪いなか、お仕事終わりの時間に急なことだったのに、心ある対応をしてくださったと、聞かせてもらいました。本当にありがとうございました。
あと本当の最後に、
やまよの家の片付けの際に、廃棄するものたちの中にあった、前盛手作りのボードやプレート、ベンチ、看板などを持ち帰ってくれた方々へ
やまよの家にあった手作り家具の塗料は、全部チョークで書けば消すことのできる黒板塗料を塗っているので、今後ご家庭などで何かに使っていただける際には、オリジナルの文字やイラストなどを書いたりしても使って頂けると思います。
前盛は100均で買ったチョークと黒板消しで、何度も書いては消してはしながら 使っていました🙆♀️
滞在中、やまよの家のお引越しLINEや個人SNSにメッセージをくださった方々への 個別のご返信が間に合わなくなってしまい、大変申し訳ありませんでした。
お返事を返せていない方から頂いた文章も、一つ一つしっかり読んで、胸熱くなっていました。まだ私自身の脳内キャパが小さく、滞在中は時間や体力の余裕もなく、現地での具体的な作業に関するご連絡にだけ、お返事を返させてもらってました。思い出してくださり、気にかけてくださり、心から、ありがとうございました。
大変遅くなってしまいましたが、再度改めて皆さまへ感謝の思いをお伝えしたかったのと、現状のご報告までに。
今回お会いすることが叶わなかった方とも、また私がそちらに行くときには、直接顔を合わせてお話しできる日がくることを、心から楽しみにしています!
八重山の方からのご連絡も この1か月 ちゃんと返せず申し訳ありませんでした。ゆっくりにはなってしまうと思いますが、これからまた一つ一つお返事させて頂きます。
高山赤十字病院でお世話になった皆さまへ
白川滞在の最終日には、事故後救急搬送してもらってから2ヶ月間お世話になった、高山赤十字病院の皆さまとも 顔を合わせて会話することができて、本当に嬉しかったです。
私自身は高山入院中の記憶は全く残っていなかったのですが、高山入院中に家族が撮ってくれていた写真や動画をあとから見せてもらったり、そちらで私がやらかしたエピソードなども色々聞いていたので、
皆様との再会はなんだか小っ恥ずかしくもありましたが、やっと ちゃんと皆様に顔を合わせて感謝の気持ちを伝えることができて、ほっとしたし、胸熱くなることばかりの、本当に嬉しい時間でした。
お忙しい中で皆様へのお声かけをしてくれて、色々取り計らってくれたZ師長さん、本当に、ありがとうございました。
東京の赤羽リハビリテーション病院でお世話になった皆さまへ
そして、去年 東京で半年間入院していた赤リハ病院でお世話になった皆さまへ、今回は色々な都合の関係でそちらにはご挨拶に伺えなくなってしまいましたが、またいつかどこかで、皆様と再会して話せる日がくることを、願っています。
お互いに、自分のペースを大切に、無理を重ね過ぎずに、楽しく生きていきましょうね。
(いつか、皆さまが石垣島に来てくれるのも、待っています🌺)
今はまだ、小白川での暮らしが恋しいので、懐かしい記録を残します。
今回のお引っ越しの日々は本当にあっという間で、滞在中はずっと頭の中フル回転だったのに、色々な場所や人との別れにしみじみと浸る時間や心の余裕がなかったので、いま島に帰ってきてからやっと、改めて気持ちをゆっくり整理する時間を過ごしています。
最後に、節目として、ブログ上でも目に見えやすく残せる白川村での記憶、私が住ませてもらっていた小白川で撮った映像を、残しますね。よかったら見ていってください。

白川村で過ごした5年間で出会えた方々、やまよの家に遊びにきてくれた方々、白川で出会ったけど今は別の場所にいる方々も、皆様へ、本当にありがとうございました。いつかまたどこかで、きっと、会いましょうね。
( △ この映像の中で写っているのは、2016年の小白川の祭りで撮った風景です。)
脳機能の回復には、脳に色々な負荷をかけることが必要だそうですが、私は今回の遠征期間中「日常と違う環境で、いつもと違う行動をする」ことが毎日続いたので、脳内の情報処理量が普段の何倍もあり、くたくたに疲れ果てた分、遠征前後で明らかに変わったことというのが、沢山ありました。
なんなら 実際の遠征が始まる前からも、まずは滞在中の計画を立て、色々な人と予定や場所の調整をしながら具体的なスケジュールを組み、交通チケットや滞在場所の手配をしたり、現地で会いに行く人をリストアップして それぞれの人に合ったお土産やお礼の品を考え 人数分買い揃えて 事前に指定した場所に届くよう配送作業をしたり、現場で必要になるだろう道具や人手を予想して手配調整をしたりなど、この遠征自体が、とてもいい脳のリハビリになったように思いました。(高次脳機能障害を持つと、未来予想を立てて行動することや、複数の物事を同時進行することが、すごく難しくなります。)
高次脳機能障害×旅 というのは、もちろん大変なことは沢山あるので、ハプニングが発生したとしても危険な状況にならないための事前予防策みたいなものを、しっかり講じておくことが必要だとは思いますが、私の場合は、旅はポジティブな刺激が沢山生まれて、脳の回復にも繋がって、面白いかもしれないなと思いました。
今後、もう少し元気になってきたら、1人旅も少しづつ再開してみようかな☺️