退院日から、明日で1か月が経ちます。

1か月前の今日のグーグルカレンダーを見ると、生活が大きく変わっているのが分かります。1ヶ月前のこの日の夜は、まだ普通に赤羽の病室のべッドで 眠りについていたんだもんね。

事故してから、暮らしの変化スピードがすごいです。

今日ふと思ったことを、寝る前にメモしておきます。

①「高次脳機能障害」の略し方

医療関係者の方々、高次脳機能障害のことを、よく「高次脳」って略すけど、「小脳」「大脳」「脳幹」とかみたいに「高次脳」って脳のパーツがあるわけじゃないし、あえて障害名を区切るなら、「高次 / 脳機能 / 障害」が正しいんだと思う。

「脳障害」と言ったらどうだのだろう、と素人は思うよ。

参考:高次脳機能障害の全て|交通事故サポートセンター

② 左膝かっくんしちゃうのを防ぐトレーニング方法は・・・?

これは退院して 家で暮らし始めてから分かったことだけど、家の外に洗濯物を干したあと 室内に戻ろうと思って、膝上くらいの高さの 家に入るための段差を片足ずつ登ろうとしたとき、左足を先に出して踏み込んだときだけ、なんかふっと左膝の力が入らなくなって、がくっと膝が折れる感じでスムーズに右足をあげられない感じがある。右足で踏み込んだときはスムーズに体を持ち上げられて、左足も自然と上げられるのに。

自宅で左膝を鍛えられるいい方法はなんだろう。いま毎日やってるトレーニングは、朝晩散歩で5キロくらい歩いて、散歩終わりには必ず小さな段の上り下りをしているよ。

③ 回復に必要な要素は・・・?

ここ数日、一気に複視が回復してきていて、近くのものも遠くのものも、何も見え方がダブらなくなっている感じがする。今日の夜、母に指摘されて初めて気づいたこと。数日前まで、1つに見える見方も2つに見える見方も意識して変えられたのに、今は、2つに見える見方は、やろうと思ってもできなくなっています。

この数日、ひたすら眠かったのは、目の回復と関係があるのかな?

祖母から。やりたいことを続けられなきゃ、生きる力がガシガシ削られていく感じがするよね。命ある限り、頑張って、やりたいことをやり続けていたいね。

念願のプリン!!留守番中に色々家事を頑張ったから、美味しく頂きました🙏

中学生時代の恩師が、またこの春から異動で私の出身中学に戻ってきていて、「遊びにおいで」とわざわざ連絡をくれたので、会いに行ったよ。

こういう掲示物、懐かしい。

学校の掲示物でも「LGBTQ」の文字を目にするように、やっとなったね。

懐かしい景色ばかり。変わらない空気があって、色々思い出した。ちゃんと思い出すから、脳ってすごい。

卒業前に私たちが植樹した桜。ちゃんと育っていたよ。

あと、印象に残ったお話を。今の私は、真面目に本気で変なことを聞くから 笑えるそう。何かエピソードを挙げようとしたけど、あまりに個人的なエピソードばかりで、難しいね・・・。でも多分、かつての私を知る人ほど笑えるんだはず。きっと、普通に分かってるような感じで、いまいちピントがずれていることがよくあるんだよね。

母とか、赤リハでの入院生活中に私の担当をしてくれていた看護師のmちゃんねえねとかは、遠慮なく私のピントずれた不安げな質問の仕方の物真似をしていたよ😂

▽あと、学校に行った時間が夕方だったから、下校時間の音楽を聞くことができました。ちゃんと三線のえんどうの花で、いいなぁ・・・と思ったよ。

当時いた先生たち以外にも、スクールバスの運転手のおじちゃん・お兄さんたちとも会えて、懐かしい絡みをしてもらったりして、嬉しかったよ。

おやすみなさい🌙

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ABOUTこの記事をかいた人

1995年、沖縄県石垣島生まれ。大学進学のため上京後、休学して岐阜県白川村に移住。 ソーシャル大学、こども劇団、コミュニティスペースの立ち上げ・運営、ローカルマガジンの発行、地域内外でのイベント企画・開催、観光用SNS運用、村役場、農家さん、民宿、飲食店、学童、社協などでのお手伝い、移住定住事業のサポートなどを経験させてもらいました。 2020年、交通事故・入院生活を経て帰島。脳の障害と軽度の身体障害が残り、色々なことがうまくできなくなり、再挑戦・再獲得を積み重ねる日々。脳がうまく働かなくなった今だから、初めて気づけたこと、学べた価値観を大切に、これからも1つずつ積み重ねて生きていきたいです。 踊ること、撮ること、書くことが好き。ヒトを含む動物が好き。肩の力を抜いていこ〜