greenzに掲載されていた、原っぱ大学の塚越暁さんの記事を読んで思ったことを、つらつらと。
心震える今を生きること。
海の中から見上げるキラキラした太陽の美しさとか、リーフの先の深い深い海の底、青い闇に惹かれる感じとか、夜中の海に浮かんでいる時の地球との一体感とか、真っ黒な水と夜空と人が溶け合ってゆらゆら全部一緒になる感覚とか、
砂浜で眠る気持ち良さとか、隣で寝る犬たちの濡れた毛の温かい匂いとか体温とか、舞台の上の高揚感とか、大好きな人たちの感情が溢れ出してる空間の熱とか。
そういう子どもの頃に強烈に感じた「今」は忘れないもんだ。
この間 人と話している中で
私の根っこは全て、両親がくれたんだなと気づいた。
幼い頃に色んな大人と暮らしたことで、多様な人がいて、多様な暮らしがあって、広い世界があることを早いうちに知れたし、
随分と多くの人から愛をもらったし、面倒見のいい動物たちが私の相手をしてくれて育ててくれた。
島の友達や先輩たちが、私が持ってなかった沢山のこと(許すとか、愛するとか、とりあえず楽しんどく精神とか、なんくるなることとか、過去にとらわれない、人を恐れない、肩の力を抜くこととか)を、いっぱい与えてくれた。
多分、長く踊り続けてきた八重山舞踊の動きも、伝統芸能の世界で出会った唄者の先輩たちや、踊り手の仲間、師の存在も、どっしりとした沖縄スピリッツを私の中に育んでくれたんだと思う。
生きることへの安心感は、ぜんぶ島がくれた。
だから私はいま人が好きだし、挑戦するのが楽しいし、自分らしく生きることの幸せを知っている。
これがもし東京で生まれ育っていたら、もともと堅苦しい性格な私は、もっと生きづらい人格の大人になってしまっていたんじゃないかと思う。
島で生まれたラッキー、いい人やいい動物に恵まれて育てたラッキー、母が肯定し続けてくれる人であったラッキー、父が島の精神そのままの 嘘がつけないあったかい真っ直ぐな人だったラッキー、踊りやアカハチという自分の居場所に早いうちに出会えたラッキー、留学や異文化交流をたくさん経験できたラッキー、語り合える友達に恵まれ続けていたラッキー、全て、母がくれとったんですよ。
いやー今ごろ気づいて、子供にとっての親の偉大さを知る。
生まれてくる子どもが、自分の意思で家族を選んでやってくるというのなら、不幸なケースがなぜこんなに多いのかと悲しくなるけど、それはどうしようもない事実。
親や学校や環境は変えられないけど、子どもたちが自力で選べる場所に ほっとする選択肢を作ってあげることくらいは、私にもできる。
1人でもラッキーな子ども時代を過ごせる人を増やすために、自分に出来ることがあるなら、やってみたいと思う。やってみたら、きっとまた違う葛藤がたくさん出てくるだろうけど、またその時にきちんと考えて向き合えばいい。
まずは、手の届く範囲の大好きな人たちや、自分自身を大切にすること。その上でできた余白で、次の世代のために、自分ができること・やりたいことに時間を使おう、と再確認。
せっかくこの地球で生を受けたなら、100年近くある壮大なひまつぶしを、心から楽しみ尽くし、愛すること。
さて何しようか、と時々立ち止まって考えてみたり、直感のままに勢いで進んでみたり、時には感情に振り回されてみたり、全てオッケーで楽しめばいい。
そういう話ができる友達や家族がいることを、
いい感じの人と沢山出会えている ここ最近を、幸せに思う。
対話を通して、自分の過去や今感じたことを言語化したいと思い始めたから、ブログまた始めようかな。
(Facebook投稿を後から転載)
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