いつも私に人生の色んなことを教えてくれる「きよちゃん」という村のおばちゃんは、春になると箸置きに桜の枝を使い、食卓には季節に合わせた山菜や木の実や畑で採れた野菜を、てんこ盛りに並べる。
毎シーズン、自分の足で山に登り、自分の手で旬の食べ物を採り、たくさんの時間と手間をかけて美味しい料理を作り、それを惜しみなく人に振る舞って、自分は汗だくになりながら、嬉しそうに楽しそうに笑う。
この冬2人で散歩をしていたら、「今日はかってこ(雪がつるつるに凍って太陽をピカピカ反射するような状態のこと)やで、遠回りね」と、急な斜面をよじ登った先にある真っ白に澄み渡った雪原に連れて行ってくれて、「私の秘密の場所なんや」と子どものようにキラキラ笑いながら雪の日の思い出を聞かせてくれた。
きよちゃんの山の暮らしは、小さな幸せを大切にする心があちこちに散りばめられていて、とても美しくて豊かだなと感じた。
私にはまだまだ、そんな丁寧な暮らしはできていないけど、「人生は有限であって、私たちは1つ1つの小さな選択を積み重ねて人生を作っている」ということをたまには思い出しながら、”いま”を大切に生きていけたらいいなと思った。
そして、そんなことを思う時間の余裕や自然の豊かさがある今の暮らしを、できる限り続けて行きたいなと思う。
「他人からの評価」を軸にして生きている人は田舎にも都会にも一定数いると思うけど、私が白川村に暮らしてから出会った人たちは、みんな「自分の幸せが何か」を分かっていて、自分なりの人生を楽しく生きている人が多い。
人生センスのいい友人に囲まれている生活を幸せだなと思う。
私たちは日々 取捨選択を繰り返して生きている
現代社会に生きている私たちは、「周りに合わせてそれなりに選ぶ」ことに慣れてしまっていて、病気や災害などの大きなきっかけでもない限り、日頃の小さな選択に意味を感じることや、「自分自身が本当に欲しいもの」に向き合う時間なんてなかなか持てずにいると思う。
だって今の日本では、そんなに真剣に自分に向き合わなくても、流れに合わせて選んでいれば「それなりの幸せ」が得られるもんね。
でも、有限な「自分の人生」は、そんな日々の小さな選択の積み重ねで作られているもので。
何か物を買うときも、会いたい人との約束がかぶったときも、進学するときも、就職するときも、住む場所を決めるときも、相手に言葉を伝えるときも、無意識でも意識的でも、自分が選んだその1つ1つが「限りある自分の一生」を形作ってるんだよね。
そう思うと、せっかくこの世に生まれたんだし、何と無く生きてみるよりも、これ最高だー!って感じられるものを選びながら生きてみたいなと思う。
朝着る服・今日進める仕事・休憩の飲み物・車で聴く音楽、そんな1つ1つも、忙しいからといって流れ作業で選ぶんじゃなく、ほんのちょっと心に余裕をもって、自分が気持ちいいと思えるものを選びたい。
周りに合わせた選択じゃなく、「自分の幸せ」に合った選択をしたい。
部屋に射し込む陽の光を見ながら、そんなことを考えた夕暮れ。何のまとまりもない文章だけど、たまにはこうやって肩の力を抜いてつらつらと字を綴るのもいいね。今日は外でご飯にしよう。
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