「大袈裟なのが嫌い。だからこそ、深刻な状況を十分理解してサポートしつつ、そういうときにもその場所で笑っていられる存在で在りたい。」自然な明るさと常に前向きな姿勢が魅力のYさん。

リハビリ病院のスタッフさんへの取材vol.5は、看護師さんシリーズのついにフィナーレです!こちらの看護師さんも「私の担当をしてくれたことがあって・・・」とかの分かりやすい繋がりは全然ないんですが、「めっちゃウチナンチュ顔(沖縄顔)で雰囲気も沖縄人っぽい。昔、私が地元の石垣島で参加させてもらってた舞台活動でお世話になってたアーティスト池田真作さんに外見がなんとなく似てる。喋ってる言葉はバリバリ関西弁なんだけど、いつも陽気な人柄や 体から溢れ出てる自然な明るさがなんか安心する。」という理由だけで、私が一方的に大好きで、慕わせて頂いている方なんです。以前、私の病棟にいてくださったことがあったので、出会うことができて。現在はY先生の担当する病棟が別の階に変わってしまったのですが、無理を言って頼み込んで、今回の取材が実現しました。改めて、Y先生への感謝と敬意を込めて、書かせてください。

「人のために生きる。」作業療法士(OT)として日々奮闘中のMさん。

2020.7.23.

「自分は駄目だ」の思いから始まったからこそ、患者さんにも後輩にも同じ目線で寄り添うことを大事にする。言語聴覚士(ST)としての使命を全うしながら、日々己と向き合い続けるIさん。

2020.8.1.

「素直に生きる」ことの大切さを体現し、医療現場で心を込めて人に向かい合う、看護師のSさん。

2020.8.2.

「学びは一生続くものだから。」看護師として日々 進化し続けるNさん。

2020.8.6.
↑の記事は この病院スタッフさんへのインタビュー連載シリーズの vol.1〜vol.4の記事です。よかったら、せひ合わせてご一読を。

注釈
「先生」と呼ぶのは、医療従事者の間では一般的に「医師」のことだけを指すかもしれないが、この連載では私が普段から使っている呼び名の習慣で、看護師やリハビリスタッフに対しても「〜先生」と表記させて頂く。

それでは、早速、いきましょうね。


看護師人生の始まりの場所に立ったときの、心の根っこにあった思い。

ーー Y先生、改めて、今日はよろしくお願いします

はじめに、読者にも先生の人物像がイメージしやすいように、Y先生のこれまでの人生の歩みについて教えて頂けますか?

大阪で生まれ育って、二十歳過ぎたくらいの頃に当時の自宅の都合で、家族みんなで東京に引っ越してきました。姉貴だけ、都合があって大阪に残ったんだけど、親父も東京で仕事があったし、俺も東京で働いてみたかったし、ちょうどよかったんよね。

看護師になった理由は、さっき話した大阪に残った姉貴というのが 体が悪くて、生まれつき障がいを持ってたことが、多分1番はじめの影響になったと思うな。俺は子どもの頃から、姉貴の面会がてら病院に遊びに行くのが、当たり前に日常生活に組み込まれていたんだよね。

そんな生活を繰り返していたからか、なんか自然と「俺は将来、病院とかで働いて、姉貴の面倒を見れたらいいのかもな」と思うようになっていて。当時はまだ男性の看護師というのは目立ったものではなかったから、自分なりに色々調べて、「お、看護学校というのがあって、男でも入れるらしいぞ!」と18.19歳くらいのときに見つけて。それでも当時は何もせずに、だらだらとバイトをして過ごす生活を続けていたんだよね。

でも25歳くらいの時に、当時は正社員として「西武デパート」で働いていたんだけど、昔の俺の「看護師になりたい」って気持ちを知ってた友達から「今 ちっちゃな病院でスタッフの募集をしてるんだけど、お前手伝いにこないか。確かお前 昔、看護師になりたいって言ってたよな。」という電話がかかってきて。彼は放射線技師になってたから そういう医療関係の繋がりが豊富だったんだよね。それを聞いてちょっと考えたあと、ヨッシャと気合いを入れて「おお、行く行く!」って返事して。当時の仕事を辞めて、その小さな病院にお手伝いとして行ったんだよね。

なんの資格も持ってない状態で行ったから、はじめの1年間は掃除やったり レントゲンの手伝いやったり、看護助手みたいな仕事をしてたね。そこで出会った看護師さんに、看護学校を紹介してもらって、一念発起して受験して、入って。そっからが、いよいよ看護師人生の始まりだね。

ーー それが何歳くらい?

26歳だね。

ーー それは、すごくすごく大きな決断だったんだろうね・・・。そのきっかけの電話をくれたお友達の影響というのはすごいね。

そうだね。その友人がくれたきっかけがなければ、今も看護師してなかったかもね。

ーー 人生というのは、本当にいつどこで転機が訪れるか、分からないね。

では、ちょっと壮大な話になっちゃうかもしれないけど、Y先生の天命、使命はなんだと思う?

うーん・・・はっきりと「これが俺の使命だ!」と思った経験はないから分からないけど、生まれ変わってもまた、看護師はやりたいね。

俺は基本的に他の仕事をうらやましいと思ったことがないんだよね。ミュージシャンとか お笑い芸人に憧れたりしたことはあったけど、でも自分がなろうと思って頑張ったところで、到底なれるものではないと分かっているからさ。

世間一般の名の知れた仕事、・・・例えば「サラリーマン」「弁護士」「お医者さん」「料理人」「運転手」とか・・・、そういう存在に、尊敬の念や感謝の気持ちを抱くことはあるけど、憧れの気持ちは全くない。ということは多分、この仕事がそれなりに好きで、自分に合っていると思ってるんだろうね。

「看護師さんっぽいポーズして」と無茶振りなお願いをしたら、脈を測る仕草をしてくれたよ。

でもまぁ、「ちょっと困っている」という人の役に立つ仕事をすることがあなたの天命だよ、と言われたらちょっとしっくり来るな。そういう生き方が性に合ってるというか、やりがいを感じるんだね。

ーー そっか・・・。看護師さんというのは、日々 人の命に向かい合う、とても心の力が必要とされる職業だと思います。そんな仕事をされていて、Y先生のように「これは自分に合った仕事だ」と納得して向き合えているのは本当にすごい。やっぱりY先生は強いね。

仕事をしんどいと感じることは、ない?

そりゃ、たっくさんあるよ。例えば、今抱えてる仕事があるのに、他のところでも問題が発生して、色々なことがごっちゃごちゃになって、仕事が山積みになっちゃったときとか、患者とうまくいかないとき、スタッフとうまくいかないとき、上司とうまくいかないとき、・・・ストレスを感じる出来事なんて日々めっちゃあるよ。

辞めたいと思ったことも山ほどあったよ。でもその度に、さっき話した「自分がやりがいを持って取り組める現場はここだ」という信念があるからこそ、「この仕事が好き」という揺らがない気持ちがあったからこそ、ここまで踏ん張ってこれたんだと思う。

ーー そっか・・・。きっと 本当に看護師という仕事について真正面から考え尽くした経験がある方にしか、語ることのできない言葉だね。

では、看護師の仕事を楽しいと感じるのはどんなときですか?

そりゃやっぱり、自分なりに考えて行った言動が患者さんに喜んでもらえたときとか、患者さんのご家族が笑っている場面に立ち会えたときとかかな。

患者さんサイドから頂いた、本当にちょっとした一言で、「俺でも人の役に立てたのかな、力になれたのかな」と実感できて嬉しくなるというか、自分の存在が少し意味あるものだと感じられるんだと思う。仕事を「楽しい」と思う瞬間ってのは、俺の場合は 決して何か大袈裟な出来事があったときじゃなく、多分 日々の日常の中の、本当に小さな、拙い出来事があったときに感じるものだね。

看護師という立場は、患者さんとの距離が近いという面でも、すごく魅力ある仕事だと思ってる。医者とはまた全然違う視点で、患者さんの人生に向き合える仕事だよ。

ーー なるほど・・・。医療関係の仕事は、向き合うものが「対 命」だから、やっぱり意義とか、やりがいとか、喜びとか、日々感じるものも きっと大きいですよね。

・・・なんか医療関係者への取材は、向き合ってるものが壮大で、毎回 胸に迫ってくるものがあるね。

そう?(笑)そう捉えてくれてありがとう。

でもなんか、普段テレビを見てると、特に最近はコロナウイルスの影響もあってか、よく「医療従事者はすごく頑張ってくれている。偉大だ。」みたいな言われ方をされてるけど、俺はその評価のされ方に対して なんかすごく違和感があってさ。

そりゃもちろん、大変な現場で日々頑張って働いている方もいるけど、現場の医療従事者はそれなりにやりがいとか達成感を感じてるから、頑張れているわけだよね。

さも、「医療従事者は 全ての負担を背負って大変な思いをしていて 可哀想だ」とでも言うかのような報道のされ方に、疑問を感じることが多いわけさ。

他にも大変な仕事をしてくれてる職業の方はいるのに。今で言ったら、政治家さんはコロナの様々な影響で 色々な判断を下さなきゃいけないから凄く苦労されていると思うし、世の中が止まっちゃって他の職種もみんな大変だし、「医療従事者だから大変!」ということは特別何もないと思うんだよね。俺はそういうときいつも、「いやいや、あんまりにも 言い過ぎでしょ。」って素直に思ってるんだよね。

ーー とても謙虚だね。

いや全然 謙虚とかじゃなくて。やっぱ好きで始めた仕事だからさ、みんな個々に納得して、今の状況を受け入れながら目の前のことを頑張っているだけだと思うよ。

ーー そっか・・・。そうだね。

でも、実際 医療職の方の何%くらいが自分の仕事に対して納得感を持てているのか、とかは私はとても気になるな。

「深刻な場面でも、絶対に自分は深刻さをかもし出したくない。」

ーー では、Y先生は実際に看護師として働き始めた前後で、「看護師の仕事の魅力はこういうところだ」と感じるポイントに変化はある?

患者さんとの距離が近いという点は、働き始める前から魅力だと思っていたことだな。今もそう思ってるし。医者は、こういう距離感では患者と接するの難しいと思うからさ。まぁそもそも俺の場合は、お医者さんになるための能力も色々足りてないと思うんだけど、「医者になって人の病を治して 苦しみから救ってあげたい」という高尚な思いも、さらさらないしね。

ーー そういう「お医者さん」と「看護師」の違い、というのが最初から実感できていたのは、やっぱりお姉さんの影響で幼い頃から病院に通っていたからかな?

きっと そうだろうね。病院自体が行き慣れてる場所だったから、俺はもとから血とか汚いものも全然平気なんだよね。

ーー では、Y先生はここリハビリテーション病院での勤務がひと段落したら、また普通の一般病院にも行きたい気持ちはある?

行ってたよ。ここ来る前までは、脳外科病院にいたからね。

ーー なんで脳外科からリハビリ病院にきたの?

簡単に言えばね、家から近かったから(笑)前の脳外科病院は往復3時間かかってたからさ。

脳外科病院では、脳卒中とかの直後の患者さんを診ていたんだよね。でもその先のことは知らなかったから、「きっと脳外科の知識や経験も多少は活きるんだろう」と思って、あとこの病院もまだ出来たばっかりで建物も綺麗だったし、人手も足りてなかったし、自宅からチャリンコで通える距離だったし・・・、という諸々の条件を考えてみて決めた。

ーー そうなんですね。じゃぁ これから先のことはまだ分からない?

決めてないね。でも 訪問看護とかは興味あるね。バイク乗るのが好きだからさ、楽しそうじゃない?(笑)

ーー 「訪問看護」ってどんなことをするの?

家で病気と闘っている方をサポートしに行く感じかな。病院よりはさ、そりゃ誰だって 慣れ親しんだ自宅で、家族と一緒に、見慣れた家具や景色に囲まれて闘病できる方が幸せだよね。

ーー そうだね。そっちの環境の方が、人に気兼ねすることも少なくなって、ストレスは軽くなるもんね。・・・Y先生がバイクで来て訪問看護してくれるサービス、沖縄にもあったらいいのにな(笑)

では、次の質問にいかせてね。Y先生が好きな言葉とかはありますか?

そう言ってくれてありがとう(笑)好きな言葉か・・・難しいな。なんだろう・・・。これだって言葉は特にないけど、なんとなくいつも意識していることはあるかな。

人生はいろいろしんどいことも起こるけど、結局ずっと落ち込んでる状態で生きていくわけじゃない。よもぎちゃんも今回 事故したり病気したりとか色々あったから、きっと分かると思う。俺も色々しんどいこと経験してきたから分かるけど、結局苦しい思いすることがあっても、なんかふとテレビ見たときに笑っちゃったり、家族や友達と楽しい時間を過ごしたりして、うまくバランス取りながら生きていくんだよね。

深刻なことあると、周りの人が「大変だなあの人は。可哀想に・・・。」という目で見るし、そういう言葉をかけられることもあるかもしれないけど、言われる側としては「別に、普通に生活してんねんな・・・。」ってなるでしょ。俺はずっとそういう目線を忘れないで居たい、というかさ。あまり物事を深刻に捉えたくないというか、深刻だと分かりつつ、笑って過ごしたいよね。

・・・ごめん、俺の言ってること難しいよね。・・・なんとなく伝わるかな?

ーー うん、すごく分かるよ。そういう姿勢や想いが、いつも直接的な言葉を介さなくてもY先生の纏う空気や言動から伝わってくるから、私はY先生のことが大好きなんだと思う。

え、そう?俺の言動ってどう見えてるん?

ーー 一言で表すと、「いつもすごく明るくてポジティブ」って感じかな。

そうなん!!俺全然、根明じゃないからね。決して社交的ではないし、家で何日も誰とも喋らないこととか平気であるし、全然明るくはないと思う。

ーー でも、Y先生は真面目な顔してなんか深刻そうな雰囲気を出してることはいつも絶対にないから、私はそのY先生の姿勢がすごく好きだな・・・。

いや、みんなも それくらいがいいと思うんよ。俺はただ、大袈裟にしたくないだけなんよね、物事を。だって、病院なんて居たら全部が大袈裟なことみたいになってしまうからさ。

みんな色々な人生があって、病気して入院して退院したあとにもずっと、どう復職するかとかとか、どう暮らすかとか、現実的なお金のこととか、問題となってくることは沢山あるんよね。俺はそんな中でも、深刻な状況はちゃんと理解しつつ、現実をしっかり見て問題に向き合いつつ、だけど決して重く捉えたりはしたくはない。「森を見て木を見ず」じゃないけど、目の前にある物事だけに心を囚われて余計な心配したりせずに、もっと先にある「未来の在りたい姿」について前向きに考えたい。

そういう考え方が好きなんよね。深刻に考えた上でその問題が解決するならそりゃいいけど、現実はそうでもなかったりするからさ。常に「なんとかなるよ!大丈夫!」って考えて、明るい方向に向かって進んでいきたい。

ーー やっぱりそういうところも、沖縄っぽいよね。「なんくるなる(なんとかなるよ、という意味)」の精神をすごく感じる。そしたら最後に、Y先生が大きく影響を受けた言葉や出来事、作品というのはある?

うーん、自分の人生や生き方に影響を与えたもの、ということよね・・・。

・・・そうやね、やっぱり多分「お笑い」やね。俺が子どもの頃、確かまだ小学校にも入学してないくらいのときに、世間的に漫才がすごく流行って。うちの親も兄弟もめっちゃ見てたからさ。自然と俺も見たよね。中学生になる頃くらいには、もうかぶりつくようにして見てたと思う(笑)

いまや全国的に名の知れてる芸人の「ダウンタウン」が、まだ世間的にも無名な、ローカル芸人の頃にさ。大阪で育った俺は、知ることができて。「なんて面白いやつらなんだ!」と衝撃を受けて、それからは もう俺の中でのヒーロー的な存在になったんだと思う。ダウンタウンの2人が出演する番組は全部必ず追ってたし、何を喋ったかとか、どんなネタを作ったかとか、どんなバラエティ番組をやってるかとかは、今も欠かさずにチェックしてるよ。2人がおすすめする映画とかは、子どもの頃から絶対に観てたね。

ーー そっか。じゃあ 本当にダウンタウンのお2人は Y先生の青春時代に寄り添ってくれた存在だったんだね。そのエピソードまで聞くと、きっと今のY先生の姿があるのは、ダウンタウンのお2人がすごく影響してるね。

そうだね。俺は漫才とかお笑いとか全然センスないと思うけど、めっちゃ大好きで、多分に影響を受けまくってるだろうね。

ーー そっか。いつかY先生がネタ披露してる姿も見たいな・・・(笑)

いや〜 本当にすごくいいお話が満載でした。Y先生、お忙しい中 お時間を作ってくれて、心からありがとうございました!!

いや、本当にあんまりかっこよく書いてくれなくていいからね。「よう喋る男です」とでも書いといて(笑)まだまだ 勉強しなきゃいけないことがいっぱいある身なのに、こんなインタビュー記事とか書いてもらったりしたら、調子乗っちゃいそうだからさ(笑)

こちらこそ、今日はありがとうございました。


Y先生の年齢 早生まれの45歳

好きな場所 映画館

好きな食べ物 麺類が大好き。ラーメン、お蕎麦、うどん、焼きそば、素麺、パスタとかとか。基本的に食いしん坊だから、なんでも大好き。麺類が1番だけど、でもやっぱり ご飯も大好き。コンビニのおにぎりでも冷凍のお米でもなんでも。食べることが好き過ぎて、なんでも作れるそう。

「人のために生きる。」作業療法士(OT)として日々奮闘中のMさん。

2020.7.23.

「自分は駄目だ」の思いから始まったからこそ、患者さんにも後輩にも同じ目線で寄り添うことを大事にする。言語聴覚士(ST)としての使命を全うしながら、日々己と向き合い続けるIさん。

2020.8.1.

「素直に生きる」ことの大切さを体現し、医療現場で心を込めて人に向かい合う、看護師のSさん。

2020.8.2.

「学びは一生続くものだから。」看護師として日々 進化し続けるNさん。

2020.8.6.

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ABOUTこの記事をかいた人

1995年、沖縄県石垣島に生まれる。大学進学を機に上京後、地域づくりとはどういうものか現場体験を伴いながら学びたいと思い、19歳で休学して岐阜県白川村に移住。 24歳のときに交通事故を経験し、頭を打ったことで高次脳機能障害という脳の障害(短期記憶力をはじめ、注意力・認識力・判断力・適応力など、成長とともに自然と獲得してきた色んな脳機能が、突然普通じゃなくなるやつ。脳が疲れやすいのですぐ眠くなっちゃう。)と、 手足に軽度の麻痺(感覚麻痺少し、運動麻痺は初対面の人になんかどったどった歩く人だなとか不器用だなと思われるくらい)、筋力・体力・精神的キャパの著しい低下状態が現存。 岐阜・東京での入院生活を経て、現在はUターンした石垣島で復職を含めた社会復帰中。 場づくりやコミュニティ形成について、実践を通してじっくり学んでいくのが楽しいです。 踊ること、撮ること、書くことが好き。(それぞれ、少しずつでも楽しく再開していくのが、今の目標。)ヒトを含む動物が好き。珈琲のおともで最近のヒットは、ISHIGAKI LABOのクイニーアマン。