「人のために生きる。」作業療法士(OT)として日々奮闘中のMさん。

ついに明日からインタビュー取材させてもらえることに‥!!

2020-07-16

「リハビリ病院で日々お世話になってるスタッフさんへの取材」第一号は、私が大尊敬している大好きな 作業療法士のM先生に取材させてもらうことに、プロジェクトの開始前から(私の思いだけで勝手に)決めていました。

M先生の仕事に懸ける熱い思いや、逞しさ、患者一人一人に心から向き合って寄り添う丁寧な働き方、常に本気で言葉を語って全力で仕事に取り組む姿勢は、どうやって身についたのか、いつか深く聞いてみたい、と思っていたんです。

実は先日、M先生の担当チームが変わってしまい、私の担当も外れてしまっていたのですが。

今月いっぱいで担当変わってしまう、尊敬する大好きなM先生に贈る言葉。

2020-06-16

無理を言って頼み込み、実現したんです😢♡ M先生に改めて心からの感謝と敬意を込めて、書かせて頂きますね。

注釈
「先生」と呼ぶのは、医療従事者の間では一般的に「医師」のことだけを指すかもしれないが、この連載では普段から私が使っている呼び名の習慣で、看護師やリハビリスタッフのことも「〜先生」と表記させて頂く。


リハビリ職に興味をもったきっかけ。

ーー 今日は無理を言って頼み込んですいません。お忙しい中、ご都合を調整して下さってありがとうございました。改めてお話を聞かせて頂ける機会を、本当に本当に心から楽しみにしていました。短い時間ですが、どうぞよろしくお願いします。

いえいえ。こちらこそ トップバッターに選んでもらってありがとうございます。よろしくお願いします。

ーー はじめに、ざっとでいいので、M先生の今までの経歴を教えて頂けますか?

経歴というのは、出身校とか学歴でいいのかな?

ーー いえ、細かい学校名とかは大丈夫なんですけど、差し支えのない範囲で、いつまで地元にいて、なんでこの仕事をしているのか、とかを、この記事を読んでくれる方にも先生の人物像がイメージできるように、ざっと教えて欲しいんです。

なるほど。まず、出身は東京都で、今も地元にいます。

ーー 地元の学校に通っていたのは高校生まで?

そうだね。大学は埼玉県の大学に行って。家から、電車で40分、バスで10分くらいかけて通ってたかな。

ーー どうやって その学校は選んだの?

うーんと、その大学が、今の仕事の専門的な知識が学べる場所だったから、かな。で、そもそもこの道に進もうと思ったきっかけというのは、まず第一が母の影響。

母も同じような仕事をしていて、老人ホームで働いているんだけど、その姿を見て、私もやってみようかなと思ったの。あと、高校1年生の時に同級生が事故に遭って、手に障がいが残ってしまって。多分そこから、手の回復をサポートするリハビリだったりとかに興味を持ったんだと思う。

ーー その子は、事故前から親しい子だったの?

うーんと、事故の当時はそんなに仲良くなかったんだ。同じ高校の同級生って認識があるだけで、挨拶を交わしたり日常的に話をしたりするような仲ではなかった。でも高2のクラス替えで同じクラスになって、触れ合う機会が増えたかな。

ーー 具体的なサポートとか、何かしたの?

実際に何かいつもする事、というのはこれといって特に何もなかったんだけど、やっぱり入院とかしてたから(必然的に)学習面とかでも遅れがあったし、そういう面で自分が支えになれる部分があるのなら、力になりたいと思ってたな。あと、みんなより遅れてクラスに加わったぶん、その子がなるべく壁を感じずに自然とクラスの輪に入り込めるようなサポートをしたりとか、私ができることがあればいつでも手伝えるように、とは心がけていたかな。

ーー M先生のお母さんは、自分の働く姿がM先生の職業選択のきっかけになっていることは知っているの?

もちろん。だから相談とかもしたことあるよ。母は基本は「なんの分野でも、自分のしたいことをしたらいい」っていうスタンスだったけど、でも「資格は取って欲しい、いつか絶対身を助くから。」という思いは強く感じてたな。

原点は「人が好き」という思い

ーー リハビリ関係の職に就こうとは早くから決めてた?

決めてなかったよ。なんにしようかなと漠然と考えてて、資格と言っても色々あるから、何が良いのか分かんなかった。

ーー 高校生のときに職場体験とかはあった?

高校ではなかったな。中学生の頃に、保育園に行ったよ。保育士に興味があったの。子どもと関わる仕事がしたいなと思って。

ーー 「福祉」とか「教育」関係の分野が好きなの?

う〜ん、なんだろうね。「福祉や教育が好き」というよりも、子どもとか お年寄りとか、そもそも「人が好き」だから、自分と違う立場の人と話すことが面白くて興味があって。学生時代に地元のスーパーでアルバイトもしてたんだけど、やっぱり高齢者の多い地域だったから、お年寄りの方と触れ合う機会も多くて。だからこそ実感を伴って「人の助けになれる仕事が自分はやっぱり好きだなあ」とわかるようになって。

ーー じゃあ別に「医療職」って決めてたわけじゃないんだ?

そうそう。もともと自分の中で「これをしたい!」「これになりたい!」って思いはなかったから。

ーー なるほど。では、ちょっとテーマが壮大になっちゃうかもしれないけど、生きてる上で、人生で大事にしてることってある?

そうだなぁ。・・・ 小学校中学校で、人間関係であんまりよくない思い出があって、でもそれは決してマイナスな方向に向いたわけではなくて。友達は大事にしようって思いが強く芽生えたのはその経験からなんだ。友達のためなら、何があっても、自分のエネルギーを費やしたいって思いがあるかなぁ。ちょっと質問とずれた答えかもしれないけど。

ーー うんうん。では、またちょっと難しいこと聞いちゃうかもしれないけど、M先生の人格形成に深く影響した人や出来事、本や言葉はある?

う〜んとね、人格形成かあ・・・。そうだな、、、高校時代、舞台を観に行った時に、舞台の中で印象強かったセリフがあって。一字一句まで詳細には覚えてないんだけど、初めから「これはダメだ」って自分で勝手に諦めるのは、やってもないのに駄目だ、自分で「これは私には出来ない」って思い込んで、諦めてちゃ何にも成れない、というような内容で。失敗を経験することも大事だし、自分としっかり向き合って内面を見つめることも大切だと気付いたんだよね。

ーー ちなみに、その演劇のタイトルとか分かる?その劇団のオリジナルの脚本だったのかな?

黒澤明監督の「7人の侍」という作品の、ちょっと現代風というか、「侍セブン」っていう、ちょっとパロディ風な、コメディ調な作品だったと思う。

ーー ありがとうございます。あとでじっくり調べてみるね。では、M先生の逞しさとか、信念を貫く姿勢は、どうやって身についたんだと思う?

なんだろうね。この仕事って、患者さんの心の中を想像して、その時々のベストチョイスを考えなきゃいけない仕事だと思ってるから、相手の立場に立って「自分事」として物事を考えるように、ってのは意識してるかな。

ーー うんうん。ありがとうございます。

「人のために」が生きる上での大きな軸になった。

ーー では、「天命」というか、M先生が意識してる「人生のミッション」というのはありますか?

う〜ん・・・。初めて聞かれたな。どうだろう・・・。あんまり普段そういうことを考える機会がないから、すぐ出てこないな。

‥‥すごく大雑把だけど、「人のために生きる」かな。

ーー ありがとうございました。

‥‥もう、胸いっぱいだ。

「人のために」。働く意味をそこに置く人は居るかもしれないけど、「生きる意味」をそこに感じられる人は、やっぱり精神がすごく成熟しているように思います。

病前までの活動や仕事で書かせてもらってたインタビュー記事では、取材時間も数時間もらってたし、カメラマンにも同行してもらってたし、編集作業も誰かに必ず最終チェックもらってたんだけど、今は全部1人だから、不安満載だなぁ・・・。でも、気合い入れて書くね。本当に貴重な機会を、そして素敵すぎるお話を、ありがとうございました!!

次インタビューお願いしてる方の取材前までに書き上げることを目標に頑張るね。


Mさんの好きな場所 : 沖縄県八重山諸島 宮古列島の下地しもじ島にある「下地しもじ島空港17エンド」のビーチ

前盛
「沖縄出身の私に無理に合わせなくていいよ」って言ったけど「本当にそこが好きなんだ」と仰っていたよ。

Mさんの好きな食べ物 : 梅干しと柴漬け。しょっぱいもの。甘いものが苦手。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

1995年、沖縄県石垣島生まれ。大学進学のため上京後、休学して岐阜県白川村に移住。 ソーシャル大学、こども劇団、コミュニティスペースの立ち上げ・運営、ローカルマガジンの発行、地域内外でのイベント企画・開催、観光用SNS運用、村役場、農家さん、民宿、飲食店、学童、社協などでのお手伝い、移住定住事業のサポートなどを経験させてもらいました。 2020年、交通事故・入院生活を経て帰島。脳の障害と軽度の身体障害が残り、色々なことがうまくできなくなり、再挑戦・再獲得を積み重ねる日々。脳がうまく働かなくなった今だから、初めて気づけたこと、学べた価値観を大切に、これからも1つずつ積み重ねて生きていきたいです。 踊ること、撮ること、書くことが好き。ヒトを含む動物が好き。肩の力を抜いていこ〜