今日は、帰り道の空の色が綺麗で、幸せな気持ちになった。

空が綺麗なときは、良い匂いがするなと思う。空気の中に含まれた水分の匂いだろか。

石垣島にも沢山の「青」があるけど、白川村の「青」は、また全然違う美しさがあって、心が静まる感じがする。

全部すごく綺麗で、深い青で、地球の色はいいなあと思う。

非日常を共有できる相手よりも、日常を長く一緒に過ごせる相手の方が、特別な存在であることに気づいた。

私は、前まで「非日常」が大好きな人間だった。

子ども時代からずっと、誰かのお祝い事とかサプライズイベントとか、特別な日が大好きで、友達の誕生日には毎回盛大なパーティーを企画したし、学園祭や舞台祭などの学校行事も全力で挑んでいた。

舞台に立つのが好きだったのも、あの特別な高揚感や、感動体験に、どハマりしていたからだ。

「もっともっと、心が震える瞬間を経験したい!」と思って、

大人になってからもブライダル関係の仕事をしたりとか、ダンスの自主公演をしたりとか、踊りの仲間たちとライブ活動をしたりとか、一時期はダンス仲間と街中で突然踊り出すフラッシュモブにはまったりとか、色んなイベントを企画したりとか、ハレとケでいう「ハレ」の部分ばっかりに、常に意識がいってたように思う。

でも、数年前から、その価値観がだんだんと変わってきた。

人生の大半は、「ハレ」の日ではなくて「ケ」の日々で成り立っていて、何気ない日常や、凪の日々こそが、その人の人生を1番素直に表すものだと気づき、目の前の日々の生活を大事に 、1日1日を丁寧に生きている人たちのことを、素敵だなと思うようになった。

これまでは、自分が全力疾走で頑張っているときとか、感情が大きく揺れ動いている時とかに、生きる意味を感じていたものだけど、

そうじゃない、穏やかに、静かに生きている時の自分も、派手なパフォーマンスとか演出で飾っていないときの自分も、いいもんだなと感じられるようになった。

(あと、子どもの頃は助産師さんになりたかったけど、最近は葬儀関係の仕事がしてみたいと思っている。)

 

毎日、見えづらい場所でも地道な努力を積み重ねて、身近な人とのコミュニケーションを大切にして、日常の中にある小さな幸せに感謝して生きている人を、素敵だなと思うようになり、自分もそんな風に生きたいと思うようになった。

ふとした暮らしの中に、目立たないけれど心から幸せだなと思う時間があることを、目の前の1人を愛しく思う瞬間があることを、大切に思うようになった。

今、影響力は小さいけれど、自分の半径数メートルの世界を良くしていくような、じっくりと1つ1つの物事や仕事に向き合うような生き方ができていることは、とても心地がよくて、そんな環境で暮らせていることを、ありがたく感じている。

数年前、東京で大学生をしていた頃の自分には、今の生活は想像ができなかった。白川村に来たばかりの初めの数年も、想像できていなかったと思う。

いつの間に、こんなに優しい日常が私の当たり前になっていたんだろうと、びっくりする。

あかりとたいせいが、白川まで来てくれたときのもの。白水湖の穏やかな時間の流れが伝わる気がして。

友達でも、恋人でも、非日常の経験を共有し合った相手って、特別な存在に思えてしまうものだけど、

実は、日常の部分を長く一緒に過ごせる相手の方が、もっともっと特別な存在なんだよね。

これに気づくのに23年かかった。生きてる間ずっと、学び続け、考え続けなきゃいけないんだろうなと思う。

人生まだまだ修行中。

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ABOUTこの記事をかいた人

1995年、沖縄県石垣島に生まれる。大学進学を機に上京後、地域づくりとは何なのか現場体験を伴いながら学びたいと思い、19歳で休学して岐阜県白川村に移住。 24歳のときに交通事故を経験し、頭を打ったことで高次脳機能障害という脳の障害と、手足に軽度の麻痺(感覚麻痺少し、運動麻痺は初対面の人になんかどったどった歩く人だなとか不器用だなと思われるくらい)、筋力・体力・精神的キャパの著しい低下状態が現存。岐阜・東京での入院生活を経て、現在はUターンした石垣島で復職を含めた社会復帰中。 場づくりやコミュニティ形成について、実践を通してじっくり学んでいくのが楽しいです。 踊ること、撮ること、書くことが好き。ヒトを含む動物が好き。珈琲と抹茶風味の甘いもので幸せな気持ちになります。