この間、島に帰ってた時に、ミサイル基地配備反対の市民集会に参加した。
5月に提示された陸上自衛隊ミサイル基地の配置図案のことも、6月に開催された住民説明会の内容も、気になってたけど、八重山の未来を考えることよりも、いま目の前の自分の暮らしを大事にする方が先決になっていたから、島に帰って、人と会って、言葉を聞いて、初めて、石垣が変わってしまうことへの怖さを感じた。
配備の理由である尖閣をめぐる中国との紛争回避の抑止力うんぬんも、配備のリスクも、住民の意思を問う「住民投票条例案」が否決されて島人の財産である市有地の未来が住民の声を無視して決められていることも、何も知らず、自分がいかに無関心だったのかが分かった。
島の友達たちと会っても、基地のことや政治の話をすることは、ほとんどなく。
必死の思いで八重山を開拓して来た先人たちの心を、人が殺し合う沖縄を生きて来たおじーおばーたちの精神を、私たちは受け継げていないなあと痛く感じた。
平得大俣の市有地を基地に提供しないことを求める署名活動にも、今の私は住民票が岐阜だから参加すらできず。無力さを知り、防衛省や市長は、いま何を思っているんだろうと初めて想像してみたりした。
「私が沖縄に生まれた意味はなんだろう」
これは子どもの頃から何度も何度も考えて来たことで、最後はいつも「世界平和のために生きること」なんだろうと行き着く。ぬちどぅ宝。生まれて来た全ての命は、地球の暮らしを楽しんで自分らしく尊く生きるために生まれてきたのだと思っている。
ミサイル車両が島を走り回ったら、八重山の暮らしは一気に変わる。島の未来を決めるのは、島んちゅだ。
あの日、市民会館大ホールに集まった集会参加者はほとんどがおじーおばー。30代以下、何人居たんだろうか。いま署名活動頑張ってるメンバーもかなりの先輩たち。私も含め、若者たち、自分の根っこの存在が、ほっといても変わらない場所であり続ける保証はないことを、もっともっと強く自覚しなきゃいけないなと感じる。
沖縄特有の「許す文化」は大好きな文化でもあり、悲しい文化でもある。「知らんかった」って呆然とする頃には、すべて決まってどうしようもない状況になってるかもしれん。何でもかんでも深く考えずに許していては、いけないこと。小さい頃から散々やって来た平和学習の意味を、きちんと受け止めなきゃいけないなと思う。
気づかん間に、平和ボケしている間に、知らないところで大きなことが動いて、大事な場所や大事な人が、どうしようもなくなるのは嫌だ。自分で考えて、知って、動かなきゃいけんタイミングが、巡って来てるよね。
去年は何度か辺野古に行って色々な人と話した。本土の人もいっぱいだった。島のことだけじゃなく、沖縄全体で、日本全体で、自分ごととして考えなきゃいけない問題が沢山あることを感じた。
久しぶりに思い返すセリフ。
「潮の干満、月の満ち欠け、気圧の高低
見えない風の道を渡り、声なき声に耳を傾けてきたこの島の人よ。
島の声が聞こえなくなったら、もうおしまいさあね。
新しき島んちゅよ、若き島んちゅよ。
この島に吹く歴史の嵐、時代の風に
もっともっと、その身をさらさねばならん。
さればこの島に
お前たちの過去と未来があることを、知らねばならん。」
メッセージが沢山。
本土にいる島んちゅがいま出来ることって何でしょう。
9.11 平和を祈りながら。
島に住民票がある人、ぜひ署名を。
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