昨日退院してきて、無事に東京の母の実家に帰ってきました。

半年間の入院生活中(救急搬送された岐阜高山の病院での入院期間も含めたら約8ヶ月だね)、支えてくださった皆様方、ほんっとうに、ありがとうございました🙇‍昨日は帰りがけに、久しぶりのモスに寄って、甘いものを食べたりもして、心の充電 満タンになりました☺️

「いよいよ 退院するのかぁ・・・」と、何度もこみ上げてくるものがあったよ。

社会生活に戻れるのか、ずっと自分でも半信半疑だったけど、昨日は「本当にこんな日が叶うようになったんだな・・・」と実感できて、たっぷりシクシクしました。

いま苦しい思いをしている方々も、「人の祈りの心」と、「時間」が緩和してくれるものが、必ず、あるよ。だからこそ、みんなに幸せあれと強く祈っているよ。あなたも私も、一緒に幸せな人生を生きようね。

担当してくださったリハビリの先生方や、看護師さん、お世話になったケアワーカーさんたちに、改めて大感謝です。

夜も、久しぶりに病室の殺風景な風景ではない暖かい温もりを感じる景色の中で、幸せな感謝の気持ちを抱きながら眠りにつきました。

今日は朝から、母と祖母と、神社にお散歩に行ってきました。

昨夜は、入院中には会えなかった家族も一緒に、大好きな従姉妹の姉々とかと、美味しいご飯を食べたよ。いろいろ退院祝いを送ってくださった皆様も、本当にありがとうございました。

「かたちあるものは いつかは なくなるってこと  ビートは きょうも うたってる」・・・歌のシーンも多い絵本なので、この本をくださった方が 小どもたちに読み聞かせしてるシーンをつい想像してしまって、ほっこりしたよ。

いつかきっと、今回お世話になった皆様が 石垣島にあそびに来てくれる日を楽しみに待っています☺️

そういや書いてなかった「入院当初に火災報知器ぽちっと押しちゃった」というテヘペロじゃ済まないお話。

2020-08-21

最後に、記事を読んでくださった方々に一言添えるなら、

「ティアモ ジュテーム」☺️

いつも私が発音悪く「ありがとっ」って言うのを真似されてたから、おあいこだよ!

明日はいよいよ島に帰るよ。

「歩いて帰れるようになるなんてね・・・」と母が隣で何度も呟いております。ありがとうね。

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ABOUTこの記事をかいた人

1995年、沖縄県石垣島生まれ。大学進学のため上京後、休学して岐阜県白川村に移住。 ソーシャル大学、こども劇団、コミュニティスペースの立ち上げ・運営、ローカルマガジンの発行、地域内外でのイベント企画・開催、観光用SNS運用、村役場、農家さん、民宿、飲食店、学童、社協などでのお手伝い、移住定住事業のサポートなどを経験させてもらいました。 2020年、交通事故・入院生活を経て帰島。脳の障害と軽度の身体障害が残り、色々なことがうまくできなくなり、再挑戦・再獲得を積み重ねる日々。脳がうまく働かなくなった今だから、初めて気づけたこと、学べた価値観を大切に、これからも1つずつ積み重ねて生きていきたいです。 踊ること、撮ること、書くことが好き。ヒトを含む動物が好き。肩の力を抜いていこ〜