昨日 いろいろな方との言葉のやり取りの中で、印象的だった言葉たちを、自分用のメモとみんなへのシェアの意味を込めて、ブログに残します。

今、なかなか記憶面でも不自由を感じている状態の、脳障害が相棒となった状態の私が、一晩寝て 日付を跨いでも覚えていること というのは、相当インパクトのあった、印象的な物語だったんだと思います。

前向きな「なんくるなる」が言えるようになりたい。

最近は広く一般的にも知られるようになった、「なんとかなるよ」という意味がある「なんくるないさー」という沖縄の方言。

最近は、あまりに広く浸透し過ぎたからか、言葉のニュアンスが若干変わって使われてしまっている場面に出会うことも増えた。その よく使われていると感じるのが、投げやりな「そんなに頑張らんでも なんとかなるよ〜」の雰囲気がある「なんくるなる」だ。でも、私はそっちじゃなく、前向きな方の、「あなたは大丈夫。私も大丈夫。一緒に解決策を見つけて、一緒になんとかしようよ。」という 強い祈りを込めた「なんくるなる」の言葉が言えるようになりたい、と思う。

あと最近なんとなく、世の中には 私なんかには分からない何か大きな原理が存在していて、なぜか全てがうまいことなるようにできているんだよなと感じることが増えた。多分、続くべきものは続くし、残るべきものは守られるし、廃るべきものは消えていくし、生まれるべきではない「意味のない」物事は、絶対に起こらない。

生きづらさや困難感を感じている今の自分にも、ピッタリはまる場所というのがきっとある、と信じている。今私が抱えている問いへの正確な答えは、存在するのかどうかも分からないけど、終わりは絶対に必ずくるものだと分かるから。

それなら、やるべきことは本当にシンプルで、「今を一生懸命、生ききる」ことのみだね、と昨日も話した。

(地元の同級生の似たtweetを発見して、2020/11/3に追記)

自分の意思とは関係ないところで変化が起こった方に対して、以前と何も変わらない 接し方のできる人で在りたい。

「僕は目が見えなくなったけど、それを何も気にせずにお花を摘んで僕に渡してくれて『綺麗だね』と言ってくれた あなたの心がとても嬉しかった」と幼少期に祖父に言われたという、印象的な思い出のエピソードを聞かせてくれた方のお話が、私も心に残った。

今ならより分かる、自分には分からない世界で生きている方に、同じ目線で寄り添うことの大切さ。

私も、命ある限り、そんな人間で在りたい。


さぁ、入院生活も、残り8日です。終わりが目の前に来てみて、初めて思うこと というのが いっぱいあります。なんだかんだ、早いね。別れは寂しいね。

いつかまた、もっと回復した姿でお礼言いに来れたらいいな。

あと8日間、毎日毎瞬を、噛み締めて、生きますね。

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ABOUTこの記事をかいた人

沖縄県石垣島出身。早稲田大学進学のため上京。地域づくり・教育について現場で学ぼうと、19歳のとき大学を休学して岐阜県白川村に移住。24歳の冬に単独の交通事故をおこして、岐阜・東京の病院での入院・リハビリを経て、25歳現在は地元の石垣島北部にある実家で療養中。 対話・福祉・コミュニティ形成などに興味があります。白くまアイスと、味噌汁と、踊ること、撮ること、書くことが好き。