リハビリ病院のスタッフさんへの取材vol.7は、ケアワーカーさんシリーズが続きます。今回取材の依頼をさせて頂いたケアワーカーさんは、私がこのプロジェクトを始めてから執筆してきたインタビュー記事の導入部分で必ず書いていた、「私がこの方をめっちゃ尊敬していて・・・」とかの取材依頼動機とは、ちょっとニュアンスが違っていて。もちろん心から尊敬をしている方なんだけど、今の私が暮らしている環境(患者さんもスタッフさんも 歳上の人ばかりの病院での 半年間の入院生活)における、貴重な同級生なんです。

いつも気兼ねせずに 気軽にどうでもいい話題でも話せて、常に優しく受け止めて心を込めて言葉を返してくれる、今の私の狭い日常生活の中での よきお喋り相手になってくれている、とっても大事な方なのです。

改めて、彼がどんな思いでケアワーカーという仕事を選んだのか、今の自身の生き方をどう捉えているのか、聞いてみました。今回の「病院スタッフさんへのインタビュープロジェクト」がなければ、彼とこんなに真面目な会話を交わすことも、なかったと思います。それでは、彼への日頃の感謝や敬意を込めて、書かせてください。

「人のために生きる。」作業療法士(OT)として日々奮闘中のMさん。

2020-07-23

「自分は駄目だ」の思いから始まったからこそ、患者さんにも後輩にも同じ目線で寄り添うことを大事にする。言語聴覚士(ST)としての使命を全うしながら、日々己と向き合い続けるIさん。

2020-08-01

「素直に生きる」ことの大切さを体現し、医療現場で心を込めて人に向かい合う、看護師のSさん。

2020-08-02

「学びは一生続くものだから。」看護師として日々 進化し続けるNさん。

2020-08-06

「大袈裟なのが嫌い。だからこそ、深刻な状況を十分理解してサポートしつつ、そういうときにもその場所で笑っていられる存在で在りたい。」自然な明るさと常に前向きな姿勢が魅力のYさん。

2020-08-15

「お世話になった方には伝えられなかった想いを、世の中に還していこう」と思ったのが原点。ケアワーカーPさんの生き方。

2020-08-19
↑の記事は この病院スタッフさんへのインタビュー連載シリーズの vol.1〜vol.6の記事です。よかったら、せひ合わせてご一読を。
この記事では、読者にも執筆者と取材対象者の日頃の関係性をよりリアルに感じて頂けるよう、取材対象者への敬称を省いて書かせて頂く。「〜さん」などの呼び方ではなく、執筆者が日頃から呼ばせて頂いている呼び方をすることを、どうぞご理解ください。

初めて 自分の心の中に「福祉」という分野が印象付いた出来事。

ーー Nくん(親しい同僚に呼ばれてたあだ名を 私も真似して日頃からそう呼ばせてもらっているので、以降この書き方をさせて頂きます。)、改めて、今日はよろしくお願いします。

なんかこうやって改めてちゃんと向き合って座ると、恥ずいね・・・。うまく喋れんかったらごめんね。よろしくお願いします。

ーー・・・ ね(笑)「とうとうこの時が来たか・・・!」って感じがするね。N君は、こうやって自分で自分の人生を語らなきゃいけない場は あまり好きじゃなかったと思うのに、最終的にはこうしてインタビューにも付き合ってくれて、夜勤終わりにわざわざ時間を作ってくれて、本当にありがとう。(2人でゆっくり時間を確保できるタイミングがあまりなくて、いろいろ相談した結果、早朝に取材をさせてもらったよ。)

はじめに、読者にもNくんの人物像がイメージしやすいように、Nくんのこれまでの人生について教えてもらえる?

うん。まず僕が生まれ育ったのは東京です。なんでこの職業をやってるかと言うと、シンプルに一言で表すなら「人に感謝される仕事をしたかったから」かな。

ーー 人の役に立てる仕事という目で考えたとき、Nくんの中では福祉の分野が1番に浮かんだ?

そうだね。小学校6年生くらいの時に、たしか老人ホームへの慰問演奏会的なことをしたことがあって。学年全体で老人ホームにリコーダーを持って行って、演奏をしたんだよね。その演奏会のときに、聞いてくれていた施設の利用者のおじいちゃん・おばあちゃんの表情や、働いているスタッフさん方の姿勢がとても素敵だなと思って、強く印象に残ったんだよね。それが、多分 僕が初めて「福祉」という言葉を意識し出した出来事だったと思う。

で、そのあと中学校3年生になって、いざ進路を決めようというタイミングを迎えたときに、たまたま観たテレビ番組で 老人施設のドキュメンタリーみたいなのをやっていて。そのとき、なんだか無性に、そういう仕事に興味が湧いたんだよね。そこで「面白そうだな」「こういう生き方がしたいな」と思ったのがきっかけだったと思う。

ーー もともと人のお世話をしたり面倒をみたりすることが好きなの?

どっちかって言ったらそうなのかもしれないね。

幼稚園の先生とかをやりたいと思ったこともあるし、小学校低学年の頃とかは警察官になって人の役に立ちたいと思っていたな。

・・・シンプルに、人と触れ合うのが好きなだけなのかもしれないね。

ーー Nくんは、おじいちゃん・おばあちゃんと一緒に住んでいた経験とかがあるの?私は日頃から、「なんでNくんは、こんなに丁寧に 高齢の方と同じ目線で接したり寄り添ったりする姿勢が身についてるのかな?」と不思議に思っていて。

いつもさ、患者さんのお年寄りの方々と すっごい温かく接してるさぁね。

私はそんな、Nくんと患者さんが触れ合ってる光景を見ているのが、すごく好きだよ。いつも とっても愛情を感じて、ほっこりする。Nくんは、福祉の仕事がとても向いているんだと感じるな。

そしてきっとNくんも、いつか周りから愛される可愛いおじいちゃんになるね。

いやいや・・・(笑)そう言ってくれてありがとうね。

でも「僕には福祉職が向いている」とかは、全然自覚ないな。

もしかしたら将来は すっごい嫌なおじいちゃんになってるかもよ・・・(笑)

ーー Nくんが可愛いおじいちゃんになってる未来、私は まざまざと目に浮かぶよ(笑)

そしたら 次の質問に行くね。いまNくんが描いている夢というのはある?

う〜ん、いつまでこの病院でケアワーカーを続けるかとかはまだ分からないけど、福祉関係の仕事を続けていたいなとは思ってるかな。

ここはほら、若い人から高齢の方までいる環境のリハビリ病院だけど、いつかは高齢者向けの施設とかで 働いてみたい気持ちもあるんだ。

ーー そうなんだ。 では、ちょっと時期を遡っちゃうけど、社会人としての最初のキャリアを積む場所として、ここ「赤羽リハビリテーション病院」という病院を選んだのは、どうして?

まず、就職前まで僕が通っていた高校は、全然何かの分野に特化した学校ではなかったんだけど、今のケアワーカーの仕事をするのに必要な資格を取ることができたんだよね。

僕は 在学中に学校で試験を受けてその資格を取得したよ。3年卒業か4年卒業か自分で選ぶことができたんだけど、うちは母子家庭でまだ僕の下に弟もいたから、勝手に「これ以上 母に負担をかけさせたくない」と思って、4年卒業にして、アルバイトしながら生活できる進路を選んだんだよね。

バイトで稼いだお金は、自分の交通費やスマホの使用料金に充てていたのと、親に少しでもお礼の気持ちを伝えたくて、わずかながら給料日には家にお金を入れたりしてた。

学校には普通に日中に通うコースもあったんだけど、僕は朝早くから夕方までバイトをして、夕方の17時から授業を受けられる夜間のコースの方を選んだんだよね。

・・・ちょっと脱線しちゃったけど、話を戻すと、なんで僕がこの職場を選んだかというと、まずこの病院は僕が当時通っていた高校からすごく近くて、学校にも求人情報が掲載されていたんだよね。

本当は、最初はどこか老人ホームとかの介護施設で働かせてもらいたいとも思っていたんだけど、この病院は僕の出身校からも近くて通い慣れてる場所にあったし、「まずは見てみるだけでも」と思って、気軽な気持ちで一度見学に行ってみたんよね。

そしたら、まだ新しかったのもあって建物や環境がとても綺麗だったし、病院内には電子モニターとか最新の設備があちこちに普通にあるし、お医者さんやリハビリスタッフさんをはじめとする職員さん方みんなが、対応がすごく丁寧で、暖かさを感じて。

患者さんもみんなとてもリラックスしていて、賑やかに笑っていたから、その空気をいいなと思ったんだよね。

ーー そうだったんだね。

一般的には 中学校卒業後は3年卒業の高校に進学する人が多いと思うんだけど、Nくんが高校を選ぶ基準には「在学できる期間を選べる学校」という観点も大きく関わっていたの?

そうだね。

ちゃんと人の役に立つ仕事ができるような技術を学べて、かつ在学中に福祉関係の資格を取れるという点も大事なポイントだったかな。

ーー なるほど。中学校を卒業する段階でもう既に「福祉関係の仕事をしたい」という自分の思いをはっきりと自覚していたのは、改めて凄いことだよね。

そうなのかな・・・? でも 僕の通った高校みたいな 専門性のある学校に進学してくる子は、みんなそうなんじゃないかな。

ーー そうなんだ。でも、ここの病院ではNくんみたいな年齢が若いケアワーカーさんというのは、本当に僅かだよね。

そうだね。学校を卒業していきなり病院に来るのは、珍しいのかもね。

僕は人と話すのが好きだけど、ちょっと人見知りなところもあってさ。人前に立って話したり、発表したりというのは、苦手なんだよね。直さなきゃいけないと思いながら、なかなか苦手なことは変えられなかった。でもその分、1対1で心を込めて向き合うことは好きだし多分得意だから、そういう自分の個性を生かせる仕事に出会えて本当にラッキーだったなと思ってるよ。

ーー そっか。Nくんは 私から見ると、大勢相手に心を込めて向き合う仕事も、得意そうだと感じるけどな。自分が思っている得意・不得意と、周りの人から見た勝手なイメージや 客観的な意見は、けっこう違ったりするもんね。

半面教師の存在が、より自分らしい人生へと導いてくれた。

では最後の質問ね。Nくんの天命、使命というのは、なんだと思う?

う〜ん、あまり考えたことないね。

・・・ちょっと質問とずれちゃうかもしれないけど、今の仕事以外で一度やってみたい職業を挙げるなら、保育園・幼稚園の先生とかかな。あとは、今は一緒に住んでいないけど 父がトラックの運転手をしていたから、「トラックの運転手が見る景色というのは、どんな景色なんだろう。」「トラックの運転手をしてみたら、僕もお父さんが見てた景色を見ることができるかな。」と考えたことはあるね。

ーー そっか、Nくんが運転手さんしてる姿、見てみたいかも。

・・・Nくんはお父さんっ子だったんだね。やっぱり親の影響って子どもにとっては絶大だよね。

そうだね。お父さんが好きだったからこそ、その背中を追いかけたいと思ったし、逆に、母や家族に対して不誠実な面があったところも、強烈な反面教師になった。

でも、反面教師の存在って、1番大切だと思うんだ。普通に見本通りにやっていくのは、ぼんやりしててもそれなりにできちゃったりすることがあるし、逆にあまりに難し過ぎると 簡単に心折れてしまうこともあるじゃんね。

だけど「半面教師」ってのは、「絶対にこうはなりたくない」って強烈なインパクトになるから、自分の頑張りだけでは行き着けなかったところにも行けるくらい、成長するきっかけになると思うんだよね。

ーー 確かに。心の力というのは、人への尊敬の思いから来るものよりも、「後悔」の経験や「悔しさ」の感情から生まれるものの方が、圧倒的に大きい気がするね・・・。

うん、そう思う。

ーー 今日は、夜勤明けの疲れてるところ、わざわざ時間作って貴重なお話を聞かせてくれて、本当にありがとう!!!

こちらこそ、ありがとう。こんなに自分のこと話したの、初めてだ・・・。あんま立派に仕立て上げて書かないでね・・・(笑)


前盛の後日談
後日、いざ記事を書こうと取材時に録音した音声を聞いたときに気付いたことなんですが、いつもは文字を書き起こしながら 私自身の声や雰囲気からも緊張が伝わってくるんですが、今回はずっと笑いが絶えない取材だったんだなぁと振り返りました。Nくん、いつも心の力を抜いてくれてありがとうね。

Nくんの年齢 24歳(9月に25歳になるよ)

好きな食べ物 鳥の唐揚げ

好きな場所 最近は、車の運転席。「狭いところが好きなのかも」と。仕事が終わって帰宅しても、自宅に入る前に、しばらく駐車場の車の中でスマホを触ってゆっくりする時間が好き。

尊敬している人はいる?
Nくん
これは言うの恥ずかしいな・・・。この病院にいる上司で、すごく尊敬している方がいるよ。・・・試しに当ててみていいよ。多分すぐ当たると思うから。

1つヒントを出すなら、その方は、患者さんのことを1番に考えて心から向き合っている姿勢がすっごく伝わってくる方。患者さんと接してる姿もめっちゃ楽しそう。・・・もしもこの記事見られちゃったら、恥ずかしくなるね・・・。

絶対わかった!(笑)ケアワーカーの主任さん?
Nくん
さあ、どうだろうね😏

後日、書き上げた記事の公開前に 下書きの記事の確認をお願いしたケアワーカーの主任さんに送ったLINE。

↑とコメントがあったよ😏 主任とNくんのコンビなら、きっとすぐ実現する!!私も 陰ながら応援してるね!!!

「人のために生きる。」作業療法士(OT)として日々奮闘中のMさん。

2020-07-23

「自分は駄目だ」の思いから始まったからこそ、患者さんにも後輩にも同じ目線で寄り添うことを大事にする。言語聴覚士(ST)としての使命を全うしながら、日々己と向き合い続けるIさん。

2020-08-01

「素直に生きる」ことの大切さを体現し、医療現場で心を込めて人に向かい合う、看護師のSさん。

2020-08-02

「学びは一生続くものだから。」看護師として日々 進化し続けるNさん。

2020-08-06

「大袈裟なのが嫌い。だからこそ、深刻な状況を十分理解してサポートしつつ、そういうときにもその場所で笑っていられる存在で在りたい。」自然な明るさと常に前向きな姿勢が魅力のYさん。

2020-08-15

「お世話になった方には伝えられなかった想いを、世の中に還していこう」と思ったのが原点。ケアワーカーPさんの生き方。

2020-08-19

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ABOUTこの記事をかいた人

1995年、沖縄県石垣島生まれ。大学進学のため上京後、休学して岐阜県白川村に移住。 ソーシャル大学、こども劇団、コミュニティスペースの立ち上げ・運営、ローカルマガジンの発行、地域内外でのイベント企画・開催、観光用SNS運用、村役場、農家さん、民宿、飲食店、学童、社協などでのお手伝い、移住定住事業のサポートなどを経験させてもらいました。 2020年、交通事故・入院生活を経て帰島。脳の障害と軽度の身体障害が残り、色々なことがうまくできなくなり、再挑戦・再獲得を積み重ねる日々。脳がうまく働かなくなった今だから、初めて気づけたこと、学べた価値観を大切に、これからも1つずつ積み重ねて生きていきたいです。 踊ること、撮ること、書くことが好き。ヒトを含む動物が好き。肩の力を抜いていこ〜