リハビリ病院のスタッフさんへの取材vol.6は、看護師さんシリーズを終えて、ケアワーカーさんシリーズに突入です。今までの「がっつり医療従事者」のインタビューから少し毛色が変わって、「福祉」の色が強い記事になってくると思います。今回取材の依頼をさせて頂いたケアワーカーさんは、いつも大きな愛と温もりに溢れていて、私が大好きな方であり、日頃から慕わせて頂いている方なんです。フィリピン出身の彼女が、どうして日本で暮らし、働いているのか。どんな思いで福祉関係の仕事をしているのか、改めて聞いてみて、何か形に残しておきたい、と思ったんです。彼女への日頃の感謝と敬意を込めて、書かせてください。

「人のために生きる。」作業療法士(OT)として日々奮闘中のMさん。

2020-07-23

「自分は駄目だ」の思いから始まったからこそ、患者さんにも後輩にも同じ目線で寄り添うことを大事にする。言語聴覚士(ST)としての使命を全うしながら、日々己と向き合い続けるIさん。

2020-08-01

「素直に生きる」ことの大切さを体現し、医療現場で心を込めて人に向かい合う、看護師のSさん。

2020-08-02

「学びは一生続くものだから。」看護師として日々 進化し続けるNさん。

2020-08-06

「大袈裟なのが嫌い。だからこそ、深刻な状況を十分理解してサポートしつつ、そういうときにもその場所で笑っていられる存在で在りたい。」自然な明るさと常に前向きな姿勢が魅力のYさん。

2020-08-15
↑の記事は この病院スタッフさんへのインタビュー連載シリーズの vol.1〜vol.5の記事です。前回まではリハビリスタッフさんと看護師さんのシリーズですね。よかったら、せひ合わせてご一読を。

それでは、早速、いきましょうね。

この記事では、読者にも執筆者と取材対象者の日頃の関係性をよりリアルに感じて頂けるよう、取材対象者への敬称を省いて書かせて頂く。「〜さん」などの呼び方ではなく、執筆者が日頃から呼ばせて頂いている呼び方をすることを、どうぞご理解ください。

お世話になった人に還せなかった思いを、仕事を通して他の人に循環させることができたとき、なにより自分が癒される。

ーー P、改めて、今日はよろしくお願いします

はじめに、読者にもPの人物像がイメージしやすいように、Pのこれまでの人生の歩みについて教えてもらえる?

ふふ(笑)緊張するなぁ(笑)うまく日本語の表現が出てこないところがあったら ごめんね。

私は生まれも育ちもフィリピンで、両親も純粋なフィリピン人です。私は 社会人になった最初の頃はフィリピンで工場の仕事をしていました。でも収入が安いから、実際の暮らしは色々と大変で。

私は「少しでも収入を上げて両親の助けになりたいな」と勝手に思っていたから、仕事の関係で先に日本に来ていた姉2人に「今のままでは生活が苦しいんだ。何か両親を楽にさせる方法はないかな?」と相談をしていた中で、「じゃあ日本で働いて 遠隔で家族をサポートするのはどう?」とアドバイスをもらって。そこから日本語の勉強を始めて、27歳のときに日本に来て 仕事を始めました。初めはお姉さんたちの支えもありながら、言葉を覚えつつアルバイトをするところからのスタートだったな。ホテルの仕事とか印刷業の仕事とか、本当に色々な業種での勤務を経験させてもらった 貴重な期間でした。

夜の仕事も少しやっていた時期があるよ。でも 一通り経験した頃に「もうちょっと人に寄り添って誰かの役に立つことができる仕事がしたいな」と思って。そしたらその頃にちょうど私の知り合いのフィリピン人の方が、日本の介護関係の仕事をしていて、ケアワーカーの仕事を紹介してくれたの。今だにその方には、「素敵な仕事に出会わせてくれてありがとう」と、とても感謝しているよ。本当に大きなきっかけをくれたね。

「仕事はどの業種でも大変な思いをすることはある。それなら、せっかく働くなら、人のためになる仕事がしたい。」と思っていたから、ケアワーカーという職業に出会えたことは とっても嬉しかったの。1番はじめに勤めた病院は、寝たきり状態の患者さんばかりの、ホスピスみたいな病院で。ある日、患者さんの顔を拭いたり体を拭いたりしていて、てっきり寝ていると思っていた患者さんに「終わりましたよ〜。顔も体も綺麗になりましたよ〜。」と何気なく声をかけたら、「ありがとう」と言葉を返してくれて。そのときは本当にびっっくりして、泣きそうなくらい感動したの。やっぱり寝たきりの方でも、意識はしっかりあるんだなと実感することができて「こういう仕事はいいなぁ・・・」と改めて思ったよ。今でも その思いは何も変わらないまま、仕事を続けています。

私の両親は 私が日本に来てから亡くなってしまったから、「両親にはすごくお世話になったのに、私はお世話をしてあげられなかったな・・・」という後悔が強く胸に残っていて。両親にしてあげられなかったことを、その分他人にしてあげることで、自分が癒されているんだよね。きっと、亡くなった両親もお空の上から、今の私の生き方を 嬉しい気持ちで見守ってくれているんじゃないかな、なんて思いながら、自分なりに目の前の仕事に心を込めて向き合っています。

この赤羽リハビリテーション病院に移ってきてからも、「やっぱりこの仕事はいいなぁ」と思うことが多いから、私の体が元気で在れる限り、この仕事を続けたいな。

だから、日頃よもちゃんを見ててもね、ご両親とお話してたりするの、羨ましいんだよ。大事にしてね。「マハルキタ(大好きだよ)」と「サラマッポ(いつもありがとう)」は、伝えられるうちに、しっかり伝えてね。(私はこの2つのタガログ語はPに教えてもらって覚えたので、日常的に使っている言葉なのです。)

私の旦那さんは日本の方なんだけど、彼が私のお姉さんの知り合いだったことで、出会うことができたの。旦那さんは、ビザの申請とかを結婚前から一緒にサポートしてくれて。今までずっと仕事ばかりに忙しい日々だったから、いつか子どもも欲しいなと思いながら 授かることはできなかったけど、今の仕事や暮らしが幸せだから、それで充分だな と思ってるの。

ーー そっか。一生懸命心を込めて話してくれて、ありがとう。Pは、もし日本に来ていなくても、福祉関係の仕事はしていたと思う?

きっとそうだろうね。フィリピンで経験した仕事は工場だけだけど、人のお世話をすることがもとから好きだったからね。就職する前から、よく姪っ子たちの面倒を見たりとかしてたな。

「♡」マークのポーズで「マハルキタ(大好きだよ)」の気持ちを表してくれたよ。

ーー そっか。では、Pが働いていて「嬉しいな」と感じるのは、どんなとき?

やっぱり、自分の行動に対して「ありがとう」という言葉をかけてもらったときかな。私でも人の役に立てたんだなと実感できるから、嬉しい。

ーー そっか。・・・いつも謙虚で愛に溢れてる、Pらしいお話だね。

そんなことないと思うけど、ありがとうね。

ーー では次の質問に行くね。Pが好きな言葉というのはある?

やっぱり「ありがとう」と、この前話した「一期一会」という言葉だね。こうやってよもちゃんと会えたのも、一期一会だよね。

この仕事を何歳まで続けられるか分からないし、もし私がいつかフィリピンに帰ることがあったとしても、絶対によもちゃんを思い出すし、本当に一期一会だね。

ーー ・・・ありがとう。一期一会かぁ。・・・今こうして改めてPから聞くと、いい言葉だったんだなって 深々と気づかされるね。

では、日本語ではなくタガログ語でも、好きな言葉があれば教えてほしいです。

やっぱり「マハルキタ」(大好きです、の意)だね。ぜひ ご両親に伝えてね。私は両親に対しても生前はなかなか伝えられなかった言葉だから。

ーー 分かった。今日早速改めてちゃんと伝えるね。Pにも、改めて、マハルキタ。

私にも言ってくれるの?(笑)こちらこそ、マハルキタ(笑)

ーー ありがとう。でも私は言ってもらう側じゃないよ、いつもPにお世話になってるから、愛を沢山もらってるから、やっぱり伝えるべき側の立場なんだよ。

そんなことないよ。みんなそれぞれ与え合っていて、だからこそ人間関係は成り立ってるんだよ。

直接「Maligayang kaarawan」言えたよ☺️

2020-07-08

ーー ・・・Pが言うことはいつでも正しいから、きっとそれは真実なんだね。与え合う存在になれるように、これからも頑張るね。いつも沢山の学びをくれて、本当にありがとう。

「両親にできなかったことを、世の中に還していこう」と思った。

ーー ではPが今抱いている夢とか目標というのはある?

あと3年は 元気な体で日本での仕事を続けて、そのあとは旦那さんと一緒にフィリピンに帰ってゆっくりしたいの。

ーー そうなんだね。Pはフィリピンに帰ってもこういう医療・福祉関係の仕事をしたい?

本当はしたいけど、体力・精神力的に、もうできないだろうなとも思うの。家の近くで、ちっちゃな商売でも、したいんだ。飲食業で、観光客向けではなく、地域の方向きの、お店を開きたい。

ーー それは すごくいいね。いつか私も行きたい。

行けるよ!きっと おいで。頑張ってお店をつくって、待ってるね。

ーー ありがとう。いつか本当に行けるように頑張るね。Pも、頑張ってね。

では次の質問にいくね。Pの天命はなんだと思う?天命というのは、そうだな、Pが「人生をかけて全うすべきこと」とか、「天から与えられたミッション」みたいなもの、と言えば、なんとなく伝わるかな。

う〜ん・・・よもちゃんなら例えば?

ーー 私は、今回事故をして怪我をして、病気や障がいを持って生かされたことも、天命だと思ってるの。

あぁ〜・・・。なるほど。分かりました。

私も、若い頃はこういう仕事(ケアワーカーのような福祉の仕事)は全く頭になくて、考えたこともなかったけど、今こうしてご縁があったのは、きっと天命だったんだと思ってるの。

ーー そっか。それは分かりやすく言うと、どういう天命?

やっぱり、両親にできなかったことを、私が両親からもらった愛を人に配ることで、世の中に還していく、という使命かな。私の体が元気な限り、そうやって生きていきたいな。

ーー そっか。それはとてもPらしいね。すごくいいお話だ。

そんなことないよ(笑)

ーー では最後の質問ね。Pが人生で1番影響を受けた出来事とか、人物とか、本とか、言葉というのはある?

・・・両親が亡くなってしまったときかな。父は、享年74歳だったんだけど、ある日突然 自分で命を絶ってしまったの。母は、その後に、自然な病気で、亡くなってしまったの。

だからね、やっぱり両親が生きているうちに「マハルキタ」(大好きです、の意)は、伝えなきゃね。私はすごく後悔したから。

ーー そうだね。自分の経験が伴っている人の言葉は、何よりも重たくて、胸に響くね。大切に、胸に留めるね。

あと、なんか、私が出会ったことのあるフィリピンの方は、みんな温かいんだけど、なんでかな? 何か国での教えとかがあるの?

みんなが温かいって、そんなことはないんだよ。色々な人がいると思うけど、やっぱりカトリックの教えが 国民全体に与えている影響はフィリピンでもすごく強いかな。

ーー そっか。やっぱり「信じる力」って物凄いんだね。今日は貴重なお話を聞かせてくださって、ありがとうございました。


Pの年齢 53歳

好きな場所 京都(お寺を見るのが好き。癒される、と。フィリピンでいうなら「教会」みたいな存在。)

好きな食べ物 デザートだと、チーズケーキ。大人になって日本に来てから初めて食べて、大好きになったと。おかず類だと焼肉。フルーツだとアボガドとキウイ。(「アボガドって果物なんだ!」と私が言ったら、「フィリピンでは果物なんだよ」と。オリーブオイルつけて食べるんだって。)

「人のために生きる。」作業療法士(OT)として日々奮闘中のMさん。

2020-07-23

「自分は駄目だ」の思いから始まったからこそ、患者さんにも後輩にも同じ目線で寄り添うことを大事にする。言語聴覚士(ST)としての使命を全うしながら、日々己と向き合い続けるIさん。

2020-08-01

「素直に生きる」ことの大切さを体現し、医療現場で心を込めて人に向かい合う、看護師のSさん。

2020-08-02

「学びは一生続くものだから。」看護師として日々 進化し続けるNさん。

2020-08-06

「大袈裟なのが嫌い。だからこそ、深刻な状況を十分理解してサポートしつつ、そういうときにもその場所で笑っていられる存在で在りたい。」自然な明るさと常に前向きな姿勢が魅力のYさん。

2020-08-15

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ABOUTこの記事をかいた人

1995年、沖縄県石垣島に生まれる。大学進学を機に上京後、地域づくりとはどういうものなのか学ぶべく、19歳で休学して岐阜県白川村に移住。2020年に交通事故と入院生活を経て、帰島。 場づくりやコミュニティ形成について、実践を通してじっくり学んでいくのが楽しいです。実体験を伴わない、頭でっかちな言動をとらないように、という自戒も込めて。 踊ること、撮ること、書くことが好き。(それぞれ、少しずつでも楽しく再開していくのが今の目標。)ヒトを含む動物が好き。食べるのが極端に遅いですが、食べることは大好き。珈琲のおともで最近のヒットは、ISHIGAKI LABOのクイニーアマン。