この1ヶ月、毎週のように東京を往復する生活が続いている。

毎日たくさんの文字を書いて、久しぶりに学生らしい日々。こんなに長時間、集中して手を動かしたのは本当に久しぶりで、夢中になって机に向かうランナーズハイ的な感覚が、懐かしく感じた。

昨夜は、久しぶりに夜のキャンパスを散歩した。静かに流れる時間の中で、冷たい空気と、所沢の森のほんのり甘いにおいに、胸がキュッとなった。色んな思いが蘇ってきて、溢れてきて、珍しく感傷的な気持ちになった。

大学に通っていた1年、苦しかったなあ。もう遥か昔のことのように感じるけど、大事な時間だったなと思う。

たくさん挑戦して、葛藤して、迷って、自分の得意不得意・好き嫌いを何度も繰り返し言語化して、自分にとっての幸せや豊かさについて、真剣に考えた時間。

あの1年があったから、今の自分の生き方がある。と、ちょっとだけ原点に立ち返る時間になりました。

懐かしのペガサス

 


 

話は変わって、今日、初めて自分のために花を買った出来事を書こうと思う。

今日は夜遅くまで用事があって、帰路についたのは終電間際の時間だった。嬉しい出会いや再会があり、胸ぽかぽかで駅のホームに着いたんだけど、ふと足元を見たら、大量のゲロがあって、周りに立っている人もみんな顔色が悪くて、疲れきった様子であることに気づいた。

東京に住んでいた頃は、そんなの日常の当たり前の光景だったんだけど、今夜はなんだか急にとても悲しくなった。

普段は自分のためにお花を買うことなんて滅多にないのに、そのときは衝動的に、駅内で売ってた1輪のお花を買った。

白のレースフラワーがとても綺麗で、その静かな美しさに救われる感じがした。

綺麗に生きている命のそばに居たいと思った。

その日の帰り道は、お酒臭いぎゅうぎゅうの満員電車の中や、乗り換えの駅のホームでも、ひたすら手元にあるお花だけを見て、呼吸をした。

島育ちの18歳が東京に住んで思った、自分に合った「暮らしの場所」を選ぶ大切さ。

2017.9.23.

この記事でも書いたけど、私はとても環境に影響されやすい人間なんだなと思う。

東京は、人の群れ、建物の群れ、広告の群れ、目や耳に勝手に入ってくる視覚情報・聴覚情報の多さに、毎回疲れてしまう。

大量の消費を繰り返さなければいけない都会の生活は、どこに行くにも何をするにもお金が必要で、常に沢山のモノに囲まれてるのになんだか孤独な感じで、美しいものとの出会いが少なくて。

常に比較や競争が行われている気がしてしまって、その渦の中にいると、息苦しさを感じてしまう。

昔は、都会でバリバリ働くキャリアウーマンに憧れたものだけど、だんだんと、どうやらその生き方には私には向いてないみたいだ、と分かってきた。

私が私らしく、自分のペースで、心身ともに健やかに、長く幸せに続けていけるライフスタイルは、ノイズの少ない場所にあるなと、石垣や白川での暮らしが体に染みてくるほどに、深く感じる。

自然に近い暮らしをしていると、他者との比較を意識する機会も少ないので、「自分らしい生き方」を自然と肯定できるようになる、というのもある気がする。

田舎の良いところ、都会の良いところ、それぞれあるけれど、私には競争社会よりも共存社会の方が、合っていたのだと思う。

自分でも気づかないような些細な嘘やストレスは、積み重なるうちに、大きな良からぬ出来事に繋がる、とも実感しているから。

なるべく、自分がありのままで、安心して五感を開け放てる、澄んだ状態で居られる暮らしを、これからも大切にしていきたいと思っている。

最近、白川の写真を載せていなかったので、今日はまとめて何枚か貼ってみようと思う。

美しいな、と思った時に撮った写真。

心が温まった時に撮った写真。

忘れたくない記憶を、未来に残せるから、写真を撮るのが好き。

幸せな日々を何度も思い出せるように、これからも何気ない日常を撮り続けていきたいと思う。

思いつくままに貼ってみたら、大量になってしまった。溜め込んでる写真を、たまにはこうやって表に出していこう。

おやすみなさい。

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ABOUTこの記事をかいた人

沖縄県石垣島出身の早稲田大学生。地域づくり・教育について現場で学ぼうと、19歳のとき大学を休学して岐阜県白川村に移住。 石垣島と白川村を行ったりきたりしながら、人がよりよく生きるための学びの場づくりを模索・実践中。踊ること、対話することが好きです。