意思を示そう。「みんなで話して、みんなで決める」ができる沖縄に。

島民の思いを示せない。沖縄、石垣で起こっていること。本土で報道されないこと。

2019-02-06

先日この記事で、沖縄の県民投票のこと、石垣の住民投票の動きのことを書いた。

あれから2週間、短い時間の中で、色々なことが動いたので、今日はその様子をまとめておこうと思う。

沖縄のもう一つ住民投票。自衛隊配備に揺れる石垣島。若者たちが訴える「話そうよ」(BUSINESS INSIDER JAPAN掲載 )

沖縄でも、石垣でも、頑張り続けている同世代がいて、彼らの言葉やアクションをこうして記事に残すことで、少しでも多くの人に届けられたらいいなと思っている。

全県実施が決まった県民投票に向けて。

「みんなで投票に行こう。対立ではなく対話をしよう。」と語りかける沖縄の若者たちの姿。

県民投票に向けての音楽祭も開催された。

こちらは当日の映像。

「もう1回、基地について、あるいは戦争について、向き合う機会を作りたいなと思って。」「何もやらないで何も行かないで後から文句を言うより、しっかり投票に行きましょう。」

こちらは民投票の会からの、最後のメッセージ映像。沖縄の未来に、何を受け継いでいくか。1人1人が考えて、意思を示す機会になることを願う。

住民投票が否決された石垣島も、諦めたわけじゃない。

求める会の、その後の動きのこと。

( 2019/2/15 八重山毎日新聞掲載 )

「第三章へ」〜諦めが悪くてすみません〜
石垣市住民投票を求める会 金城龍太郎

署名をしてくれた皆さま、応援してくださっている皆さま、いつもありがとうございます。石垣市住民投票を求める会からのご報告です。

去る2月1日の臨時議会で、「石垣市平得大俣地域への陸上自衛隊配備計画の賛否を問う住民投票条例案」が可否同数になり議長裁決で否決されました。

私たちとしては、当日に採決を行うことも想定していませんでしたし、まさか否決されるなんて信じられない思いでした。あまりにも急な展開で、求める会としてどう対応していいのか戸惑っていました。

しかし、多くの励ましの声や実施を求める声を受け、求める会として次のステージに進むことに決めました。

先日、与野党の議員さんとお会いして直接お話を伺いました。そこでわかったことがあります。双方、今回の結果に至った理由を述べるにあたって「与党が」「野党が」と対立を意識するあまり、一番大事なはずの署名した市民の願いは蚊帳の外に、「住民投票条例案」については十分に審議されていないということです。

私たちは運動の中で「話そうよ」と呼びかけてきましたが、一番話し合いが必要な議会という場所でしっかり審議されなかったのは本当に残念です。

ですが、一度動き出した島の流れは止まりません。たとえ否決されても「島内での意思を示したい」という1万4000人余りの思いを消すことはできないのです。また、署名で表れなかった数を考えると本当に思いの多さは未知数です。島外に住む石垣島を思う島んちゅもたくさんいます。石垣でも辺野古の県民投票が実施されることへと一転したのですから、一番身近な島の賛否が分かれる問題についてみんなで考えるきっかけがあってもいいはずです。

私たち「住民投票を求める会」としては、より多くの方の思いが報われるような着地点を探したいと考えています。諦めが悪くてすみません。まだ世の中にとらわれない若者たちです。どうか今後とも温かい目でお見守りください。

そして、もしよろしけれ、もう少し一緒に走りませんか?あなたのユーモアが冷めないうちに。

諦めや怒りや悲しみを見せずに、「愛とユーモアを持って」住民投票の重要さを島民に訴え続ける姿勢を、本当に尊敬する。私にできることは何だろうと考える。

ラジオの音声はこちらから聞けます。

ひとまずは明日の、県民投票。意思を示そう。

島民の思いを示せない。沖縄、石垣で起こっていること。本土で報道されないこと。

2019-02-06

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ABOUTこの記事をかいた人

1995年、沖縄県石垣島生まれ。大学進学のため上京後、休学して岐阜県白川村に移住。 ソーシャル大学、こども劇団、コミュニティスペースの立ち上げ・運営、ローカルマガジンの発行、地域内外でのイベント企画・開催、観光用SNS運用、村役場、農家さん、民宿、飲食店、学童、社協などでのお手伝い、移住定住事業のサポートなどを経験させてもらいました。 2020年、交通事故・入院生活を経て帰島。脳の障害と軽度の身体障害が残り、色々なことがうまくできなくなり、再挑戦・再獲得を積み重ねる日々。脳がうまく働かなくなった今だから、初めて気づけたこと、学べた価値観を大切に、これからも1つずつ積み重ねて生きていきたいです。 踊ること、撮ること、書くことが好き。ヒトを含む動物が好き。肩の力を抜いていこ〜