「行かないで。寂しいよ。ここにはあなたが必要だよ。」と伝えることの尊さ。

「実はさ、もうすぐ村を出ようと思ってるんだ。」

そう、こっそり告白してきてくれた友人が、ここ最近で5人もいた。

みんな、白川村の暮らしの中でとても親しくさせてもらっていた、大好きな人たちばかりだったから、話を聞かされたときは少なからずショックを受けたし、色々考えてしまった。

そんな中で、今日ふと5人の共通点を考えてみたら、みんなUターン者か移住者で、白川に来て(または戻って来て)3〜5年くらいの人たちだなと気づいた。

家族がいる人も、単身の人もいて、村を出る理由も「もっと学びたいから」「自分らしく働ける場所が村には見つけられなかったから」「新しいパートナーとの人生を始めようと思うから」「より良い生き方を探りたいから」など、人それぞれ。

白川村に何かしらの希望や期待や理想を抱いて帰って来た(または移住して来た)人たちが、3年を過ごしたあたりから「なんだか自分のやりたいことができてないな」「描いた暮らしが実現できてないな」とモヤモヤ感じ始めてしまい、最終的には「自分が欲しい未来」を他の場所に見つけて、村を出て行ってしまっている、という事実を今回まのあたりにして、心がキュッとなった。

みんな決して白川村が嫌いになったわけではなくて、「村は好きだよ。自然環境も、教育環境も豊かで、水も綺麗で、時間の流れも穏やかで、地域の人たちも温かくて、本当いい場所なんだ。」と話す人たちばかりなのに。

その言葉の後に続く「でも、ここでは自分らしい働き方や生き方が十分には叶えられてない気がして、不安になってさ。」という言葉を聞いて、この村の人口減少や担い手不足には、やっぱり働く場所の選択肢の少なさが、強く影響しているなと思った。

一度でもよそに出て働いた経験がある人からすると、白川村での仕事や暮らしはきっとどうしても多様性が乏しいように感じられてしまうもので。

「自分がやりがいを持って向き合える仕事に就きたい」「好きなことを仕事にして充実したライフスタイルを送りたい」という理想を抱きながら、それを実現しづらい村の環境に対して、葛藤が生まれるのは、よく分かる。(もちろん、自分らしい働き方や生き方を確立して心豊かに暮らしている人は、村にも沢山いるけど。)

「自分じゃなくてもできるような仕事」「人付き合い重視の村の暮らし」に不安や疑問を感じて「もっと輝ける場所はあるんじゃないか」と、より良い環境を求めて村を出る人がいるのも当たり前のことだと思っているし、それに関して、私が引き止める権利も、全く無いとわかってる。

でも、最近柴さんと「人には人の人生があるんだから無理に引き止めては行けない、という遠慮や忖度は、もう不要なんじゃないか」という話をしたりもして。

仕事柄、今まで何度も、白川村に縁あった人がこの場所を巣立っていく場面に立ち会って来たわけだけど、私たちはその度に内心ではめちゃめちゃ寂しいくせに、行って欲しくないくせに、「新しい場所でも頑張ってね。たまには遊びに来てね。」とめっちゃあっさりした言葉で、遠慮しまくり、我慢しまくりの見送り方をして来た。

でも最近になって、出てった人から「あの時は居場所が見つからなかっただけだよ。私を必要としてくれる場所がもし村にあったのなら、引き止めてくれる人がいたのなら、残ったのに。」というような声を、遠回しに受け取る機会があって。

他地域の協力隊OBとかでも、「自分の能力を活かせる場所、自分を求めてくれる人がいれば、任期後も残りたかったんだけどね・・・」みたいなことを話しながら、その土地を去る人が周りに何人かいて。

そんな出来事が重なるうちに、「確かに、最終的に自信の幸せを決めるのは本人なわけで、それなら見送る側も遠慮せず、出来る限り素直な感情を伝えたほうが、お互いにとって幸せなのかもしれない!」と思うようになった。

私自身のことを振り返ってみても、任期後も村に残って活動したいと強く思えた理由として、自分のやりたいことを実現できる場(かやっこやヒト大や自宅の住み開きなど)があったことや、居場所(雇用の面で)を作ってくれた柴さんがいたこと、ダイレクトに「よもぎに居てほしい。あなたが必要だ。」と声を届けてくれた人が沢山居たことが、結構大きく影響してるな、と気づいて。

人間は、誰かに必要とされたとき豊かさや幸せを感じるわけで、それなら堂々と「ここにはあなたが必要だよー!!寂しいよー!!」と伝えてみることで生まれる幸せも、あるのかもしれない。と思う。

特に、若者不足の過疎地域では、強がらずに素直に助けを求めること、寂しさを言葉にすることは、物凄く大事な気がする。

本当は、もっと根本的な、面白い雇用の場を増やしていくことにコミットできたらいいのだけど、それは今ヒト大で頑張って取り組み始めようとしているところなので、まず私個人としては、1人の友人として素直に思いを伝えることを実践してみようと思う。

そして、それは村から出ていく人に対してだけでなく、外から興味を持って見てくれている人たちに対しても同じで

ヒト大などをきっかけになんとなく白川村に興味を持ってくれて「関わりたい」と考えてくれた人たちに対して、1度きりの関係であっさり別れてしまうのではなく、その後もきちんとアプローチして、場所を用意して、「おいでよ!」と待っててあげるくらいの「いけす整備」をしていきたいと思っている。

せっかく作り出した「関係人口」の層の人たちの存在を、一過性の出会いとしてスルーするのではなく、継続的な関わり方をデザインして提案してあげることまでできたら、地域の未来は随分変わるのだろう。

それにしても、今回の出来事は「仕事」と「パートナー」が人生に与える影響力について、改めて感じさせられた出来事だったなあ・・・。

都会では豊かに生きるための選択肢って沢山あるけど、田舎暮らしにおいては、自分に合った仕事、自分に合ったパートナーなしに、豊かに生きることが、結構難しく感じられてしまうもの。

人口1700人にも満たないこの小さな村で、私の日々の暮らしがこれだけ豊かなのは、センスのいいすてきな友達たちが近くにいてくれるおかげなのだなと、改めて感じる。

大好きな人たちに、日頃から素直に言葉を伝えること、大切にしよう。

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ABOUTこの記事をかいた人

1995年、沖縄県石垣島生まれ。大学進学のため上京後、休学して岐阜県白川村に移住。 ソーシャル大学、こども劇団、コミュニティスペースの立ち上げ・運営、ローカルマガジンの発行、地域内外でのイベント企画・開催、観光用SNS運用、村役場、農家さん、民宿、飲食店、学童、社協などでのお手伝い、移住定住事業のサポートなどを経験させてもらいました。 2020年、交通事故・入院生活を経て帰島。脳の障害と軽度の身体障害が残り、色々なことがうまくできなくなり、再挑戦・再獲得を積み重ねる日々。脳がうまく働かなくなった今だから、初めて気づけたこと、学べた価値観を大切に、これからも1つずつ積み重ねて生きていきたいです。 踊ること、撮ること、書くことが好き。ヒトを含む動物が好き。肩の力を抜いていこ〜