慰霊の日の話。

今日は6月23日。島を出てから3度目の慰霊の日でした。

私が生まれるちょうど50年前に終わった、沖縄での長い地上戦。ここでは黙祷のサイレンは鳴らないけど、今年も正午に手を合わせて亡くなったたくさんの魂に祈りました。

沖縄が、日本が、これからもずっと平和で在り続けられますように。おじーおばーたちが守ってきたうちなーの文化を、芸能を、精神を、平和を、何代先の子どもたちにも残していけますように。

沖縄という場所が、これからもずっと、みんなの心の根っこで在り続けますように。

白川の地で1人手を合わせながら、毎年島でみんなで黙祷もくとうした時間の静けさや、セミの声、暑い日差し、畑のにおい、むわっとした空気、アカハチの稽古をしていた自然の家の体育館を、思い出しました。

最近、島に平和の尊さについて語る人がどんどんいなくなってしまっていってるのを実感します。時代の移り変わりとともに、昔を知る人が減って行くのは当然で、言葉が変わっていくのも、歴史を忘れていくのも、当たり前のことなんだけれど、次の時代に残し伝えるべきことや私が引き継げることがあるのなら、今のうちにちゃんと受け止めたいなと思う。

オジーオバーたちが見てきた無残な人と人との争いを、二度とこの地で起こさないように。

戦争の悲惨さ無意味さを後世に伝え続けてきた沖縄の文化ウチナンチュの使命を、絶やさないように。

大人に言葉を伝えることは難しいから、まずは同世代や後輩たちと一緒に、自分の頭で考えて島の未来を創っていけるプラットフォーム的な場づくりをしていこうと思っています。まだまだ始めたばかりだから、準備が整ってきたら、またここで書くね。

島の友人たちと選挙や基地やホテル建設の話をしているとき、たまにふと、「こんな小さな島ひとつの問題に対しても、私が変えられることなんてほんのちょっとしかない。それなら、世界平和なんて言葉は、どれだけ遠いのだろう」と、無力さに悲しくなることがあります。

でもその度に、今八重山で足を踏ん張って頑張っている先輩たちの姿、気の遠くなるような目標に真摯しんしに向き合って努力を積み重ねている人たちの姿に、胸がぎゅっと熱くなり、パワーをもらいます。

世界の広さも、自分の小ささも、よく分かってる上で、目の前の大事にしたいことや大切な人のために 今できることを1つ1つ実践して学び続けている人は、とても人間らしくて、土臭くて、かっこいい。

私も、石垣、八重山、沖縄が、いつまでも変わらぬ大切な大好きな場所であり続けてほしいから、世の中全体がもっともっと安心感のある場所になってほしいから、自分がやりたい事・やるべき事・できる事に、思い切り体と時間を使いたい。

挑戦すること・学ぶことを放棄せずに生きたい、と思わされます。

本土の人が慰霊の日を近くに感じないのと同じように、私も地球上で起こっている多くの問題を遠い世界のことだと思って生きているし、今は自分の周りの小さな世界のことだけで精一杯です。

でも、これから1日1日「今」を重ねていく中で、「自分ごととして大切に思える場所」が日本だったり世界だったりに増えていくといいなと思います。

悲しいことや嬉しいことを、地球に暮らすみんなで一緒に、心から悲しんで喜べる世界になるといい。

 

気づけば、今月21歳になりました。もしかしたら明日の朝には死んでるかもしれないし、あと80年くらい人生が続くのかもしれないし、元気に走ってられる時間が私にどれだけあるのか分からない。だからこそ、

” 今 “

自分が大切だと思うものに、まっすぐ向かい合う一生でありたい。

「最高だ」と思える瞬間を、家族や友達や恋人や大切な人たちと、たくさん分かち合える人生でありたいと思います。

ふと思い返す南風のセリフ。

「島は変わらん。いつ帰ってきても変わらんよ。どんなに時が流れても、このオジーが死んでも、島だけは島のまんまさあ。」

この言葉が語り継げなくなったら、もうおしまいさあね。

ずっとずっと変わらない島があり続けますように。

ぴとぅかいしゃよ、いつまでぃん。

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